毎日の葬送

ASKA「月が近づけば少しはましだろう」

 ASKAの話をもう少し。

www.youtube.com

僕の中を 通り過ぎ行く人

ほんの一瞬の人

ASKA「月が近づけば少しはましだろう」)

 はじめ私はこの「人」、僕の中を通り過ぎ行くほんの一瞬の人とは、1番に出てくるような言葉を向けてくる心無い他者、ひいては他者全般のことを言っているのだと思っていた。

 私たちは、ともすればすぐに、ほんのすれ違っただけの人にも背景がある、人生がある、厚みがある、という発見をしたがる。ところがそのような発見を押し拡げていけば、いずれ息苦しくなる。そうして、いや、一瞬の人だ、と念じたくなる。あんなものは、なんだ一瞬の人じゃないか、と言い捨てたいときというものは確かにある。

 それを言っているのだと思っていた。しかし違った。真逆でさえあった。

 あらためて見ると、2番の詞はこうなっている。

ごまかしながら生きて来たなんて 思わないけど

夢まみれで滑り込むような事ばかりで

 

毎日の自分をどこか 振り分けてた

 

僕の中を 通り過ぎ行く人

ほんの一瞬の人

(同)

 自分のことを言っているのだ。

 消え失せてしまう言葉にそれでも傷つき、拭きとれるはずの言葉はしかし積もり。他者の影はどこまでもまとわりついて振り払えない。かたや思うに任せない日々の自分をこういう仕方でずたずたに葬っている僕。

いつか涸れることない涙

「cry」

 かつてASKA黒田有紀に提供した「cry」。それをセルフカヴァーしたものを自選のベストアルバムに収録した。のみならず、娘である宮崎薫にも歌うようリクエストし、カヴァーが実現することになったという。

 Cry|BLOG|ASKA Official Web Site 「Fellows」

 それほどに大事な楽曲だということなのだろう。私にとっては、『ストリートファイターII V』のエンディング曲として知り、カラオケで歌うと必ず泣いてしまう、そんな歌だ。

この日この時の気持ち 誰とも分け合わないで

どんなだったか覚えておこう oh cry oh cry oh cry

(「cry」)

 本気で愛することがすべてで、それが取り返しようもなく終わったとき、他者などがいったい何だというのか。痛み、叫び、泣いて、それでも生きているということの辛さを、それでも生きているということ。それが全部であるような、それが全部であってしまうような、本気の恋愛。

  内容としては二十そこそこの若い女性の失恋を歌った歌であり、その失恋の内実は固有のものではあろうけど、このような悔しい叫びを、ただ自分だけのものとして抱いていようという心は、普遍性を持ちうる。そう思える。

都築杢之進の消失

『斬、』

 人を斬ることが出来ない、女を抱くことが出来ない、江戸への出立の日に熱を出して倒れる。どこまでも手前に留まる、留まってしまう者としての杢之進。

 であればこそ、市助たちの敵討ちに立ち上がろうとしないことを罵るゆうの声は、杢之進の鼓膜を震わしうる。

 また必然、澤村と殺し合い、人斬りをしとげたその瞬間、杢之進とゆうとの間には、間ということさえ言えないほどの絶対の隔たりが生まれる。決定的な一歩を向こう側へと踏み越えてしまった杢之進の、行くべきは、スクリーン奥しかない。ゆうのわななきは、どこまで響き渡っても、もはや永遠に届きようがない。

「あのね、物にはみーんな魂があるって知ってる?」

かみさまみならい ヒミツのここたま』#138「ここたま界を救え!」

 ここたまハウスの新しい飾り作りがうまくいかなくて、リビングのソファーにうつ伏せになるこころ。「どうして私ってばこんなに不器用なんだろう」

 そんなこころにお母さんが声を掛ける。

お母さん「こころ、おばあちゃんの口癖、覚えてる?」

こころ「うん、覚えてるよ。『物にはみんな魂がある。大切にしたらいいことがあるよ』って」

(#138「ここたま界を救え!」)

 そうしてお母さんは、ときどき自分も、魂がある物たちが助けてくれているんじゃないかって思うときがあるのだと言う。困難にあって、不思議とうまくいくときが。何かを好きだという気持ちは、道具や物に伝わる。不器用だっていいじゃない。

 例えば『夢色パティシエール』のいちごは、スイーツ精霊の応援を受けながら特訓を重ね、徐々にスイーツ作りの腕を上げていく。一方、最終回目前に至ってもなお、こころの不器用は変わらない。おシャキに言わせれば「こころさんは控えめに言って不器用です」となる。

 こころだって頑張っているのだ。だからこそ上のように悩みもする。ここたまたちだって応援している。いつも騒ぎの元だとしても。

 それでいいのだ。その調子でいいのだ。ここたまと人は、何かを好きだという気持ちのあるところでは、何かを大切に思う気持ちのあるところでは、いつでも共にあって、だからそれで。

 あとはたまごが転がるように、なるものはなるもののようにしてなる。

ダダ100年、はいから100年

 第1回ダダの夕べにおいて、「ダダは僕らの強烈さだ」と叫ばれたのが1916年(「ムッシュー・アンチピリンの宣言」)。「ダダは何も意味しない」という有名なフレーズを含む「ダダ宣言1918」はもちろん1918年。これらから数えて、およそ100年が経過したことになる。

 先日後編が劇場公開された『はいからさんが通る』で、伊集院少尉が消息を絶つことになるシベリア出兵が1918年だから、やはり100年。そうしてクライマックスに起こる関東大震災が1923年。『ダダイスト新吉の詩』はこの年の2月に刊行された。

 震災を無傷でやりすごした伊集院邸。その堅牢さは、少尉と紅緒の思い合う心、その結び目と同じ固さでもあるようだ。と書きながら、そのような読み解きを私は信じていない。

 *

 はてなダイアリーからのインポート申請が混み合っていて受付停止中ということなので、デザイン調整のために適当な長さの何も意味しない文章を書いてみた。よろしくはてなブログ