「ああーコジマになりてぇー」

薄暮

「震災以後」の齎すべき、イマジネーションの決定的な変容。東日本大震災の直後は、それを競うような言説が賑わっていた。しかし、震災以前であれ以後であれ、変わらないものがあるはずだと、この映画は言っているように思える。

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 震災によって全く違ってしまった暮らし、というものはもちろんある。自宅を帰還困難区域に指定された雉子波くんは、新しい土地で、新しい高校生活を送っている。中学時代の初恋の人とも離れ離れになって。

 自宅で生活することができている佐智にしても、震災の後しばらくは、周囲が心配するほどに暗く沈んでいたという。それでも、制服の可愛さで選んだ高校へ通い、そこで友達も出来、そのうちに笑顔を見せるようになってきた。

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 制服の可愛さで学校を選ぶ。最初に挙げた言説の側からすれば、これはイマジネーションの停滞、震災以前への後退とも取られかねない。つきなみ、ありがち、エトセトラエトセトラ。しかし果たしてそうだろうか。

 さらに言えば。晴れた日にひとり遠回りして帰る下校路で、暮れなずむ山間の田園風景の美しさを、佐智は発見する。あるいはまた、雉子波くんと打ち解けられた佐智の心が、朧月夜に感応する。こんなことは、何十年、何百年、何千年も、人間が繰り返してきた営みだ。しかし、だからといってそれが切り捨てられるべき理由になるだろうか。

 人間が生きるかぎり繰り返される営み。言うなればそれは、人間の生きる業だ。裏を返せば、この業こそが、人間が生きるということだ。この映画は、確信を持ってまっすぐそれを描いている。そうして人間が生きることを肯定している。

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 日々に世界は美しく、人はまた人を好きになる。

かいじゅうこどもの海と空

海獣の子供

 琉花が、自分の手を引く海の手の熱さを感じ、守ってあげなくちゃ、と強く思うこと。その直後、台風の中を傘も差さず海と二人歩いていく琉花を、漁港の人がみとめること。

 傘を差さないのは、先ほどの決意がたちまちそういう形で現れたのだと見ることもできるかしれない。つまり、決意したからには、雨なんか気にしてられない、というように。

 しかし、そうであるよりも。自覚的で明瞭な意志を持つ以前から、琉花は外見的にはとっくに海の側にいて、漁港の人の視点はそのことをただ追認したのだと、私には思えた。

先輩はえらい

『劇場版 響け♪ ユーフォニアム ~誓いのフィナーレ~』

 キャストの中に寿美菜子の名前を見つけたので少し元気が出て、観に行くことにしました。

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 部の今年の目標の決を採る場面では、あすか先輩の不在に泣きたくなりました。一方、とにかく上手くなりたいんだ、そのために邪魔になる考えは捨てたんだ、と言うときの久美子は、あすか先輩と過ごした一年を確かめているようで、うれしくなりました。

 そのようにして、あすか先輩の在/不在をずっと思っていました。それ以外の見方は私にはできないので。

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 大会の応援に来たあすか先輩に、そんなに私が恋しかったの、と言われた久美子は、曖昧な返事しか返せないでしまう。恋しいとか、なんとか、あすか先輩との間に、そういう言葉を介在させてみたことがなかった、それを突然、あすか先輩にぴったり言われてしまったのだと思います。あすか先輩に言われて、ぴったりしてしまったのだと思います。

「最悪の 生き地獄さ!」

 新元号かっこいい、SFみたい、などの受け止めの数々に気が塞ぐ。

 いくら意味を取り繕ったところで、命令じゃないか、和せしむじゃないか、という指摘は、尤もなことだと半分は思う。

 より本質的には、政治のあるべき姿から自然の有様へと、言葉の表す対象をずらしたことが一番の問題だと感じている。それによって、われわれは元号との関係を強制的に取り結ばれ、元号は、われわれ個々人にまで重くのしかかる物となった。その意味でこそ命令なのだ。次代に響いて止まぬ号令。

 そしてまた、より感覚的には、「令」の◇形の字形がとにかく受け付けない。不安定さにぞわっとする。誰も平気なのか、不思議でならない。新元号を見るたびに、私は「令」の字のひとやねから転げ落ちる思いだ。

 何が有識者かよ。出て来い有識者だよ。

地獄に仏の他人

『えいがのおそ松さん

 童貞。クソニート。そう言って自らを貶めることにとっぷり馴染んだ六つ子たち。ギャグ漫画の世界とは、いわば閉じた世界だ。自らに飽いてよしとする世界だ。

 そんな六つ子たちにも、そのあり方に思い悩んでいた時期があった。

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 高校卒業を間近に控えた六つ子たちは、先が見えない不安にもがいていた。どこかへ抜け出さなければと焦っていた。

 どこへか。それは分からない。しかし、どこからかははっきりしている。ここから、自分からだ。そうであれば、生まれたときから6人セットの六つ子たちには、お互いが、いつまでも抜け出せない自分の鏡写しのようで、とにかく疎ましかった。

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 あの頃は頑張っていた。現在の六つ子たちはそう言える。そう言ってしまえる。ともあれ自分たちは、あの時期を通過したのだ。やれやれ、あの頃の俺たちときたら。

 しかしまた、べつの眼差しでもって当時の六つ子たちを見つめる目があった――。

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 全ての悩める自意識に、あらまほしきは佐藤利奈さん。一等賞。