『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』
『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』を観てシナリオえーだば創作術のミュウツー周りの記事を読み返してたら昨日という日が終わった。
上層部は、アニメを派手に見せるため、CGを使いたかったらしいが、日本のCGは、当時、発展途上中である。
しかも僕には、ポケモンの図柄とCGがマッチするか、疑問だった。
それでもCGをどうしても出したかったのか、題名タイトルにはしっかり登場させていた。
(シナリオえーだば創作術 だれでもできる脚本家 第174回 「差別」といっても大げさに考えないでください - WEBアニメスタイル_COLUMN)
このときの情念が上層部にずっと燻っていて、それで今回の『EVOLUTION』製作に至ったのだろうか。当時の上層部がまだ君臨しているのかは知らないが。
『ミュウツーの逆襲』にもテーマを語る台詞がないわけではない。
主人公のサトシが「なぜここにいるんだろう」とつぶやいた時に、カスミがさりげなく答える台詞「さあね、いるんだからいるんじゃない」である。
自己存在などということは言わないし生きていることが大事なんだとも言わないが、「いるんだからいるんじゃない」でも言いすぎな気が書いた僕自身している。
だからこの台詞は、『ミュウツーの逆襲』の主人公であるミュウツーもサトシも言わない。
脇役であるカスミにさりげなく言わせた。
あくまでさりげなくである。
ミュウツーがずっと自問しつづけた存在の意味、その玄義めいたことを、カスミは意図もなく軽く言ってのける。ここにある種のカタルシスがあるわけだけど、あからさますぎると言えばたしかにそうで。言葉で明示されたためにテーマとしてはかえって弱まると言うか。
したがって我々もこの箇所では、テーマ発見!と力むのでなく、ふふっと笑って軽く受け止めるくらいがちょうどいいように思う。
それよりも、ポケモンたちの零す涙の訳の分からなさに、やはり思うところは大きい。
ポケモン達の涙のわけは、何なのか?
主役のサトシの息を吹きかえらせるためのご都合主義か?
この映画の観客を感動させるあざとい演出過剰か?
どう取られても、それは、観客の勝手である。
ただ、涙嫌いの脚本家としては、この涙には別の意味がある。
(中略)
存在するはずのない種類の人間がいて、しかし、もう息をしていない。
「自分たちの戦いでとても大切な存在を失った」
悲しい……喪失感の悲しさが涙になる。
ポケモン達の涙は、同情でも憐れみでもない喪失感なのである。
その涙に、コピーも本物も違いはない。
そして、そんな涙が集結して喪失したものが蘇る。
脚本家としての意味はそうなのだろう。喪失した。悲しい。そうかも知れない。しかしポケモンたちは訳も分からず涙を溢れさせているだろう。
そしてそこに、存在ということの根源的なあらわれを、ミュウツーは認めたのではないか。