私はディオゲネッタ、私は犬

『チョコリエッタ』

 原発事故などを絡めた分だけ、作品を卑小化してしまっているように思えた。というのも、思春期の懊悩煩悶は、社会的な出来事を、それがどんなに大きかろうと、はるかに飛び越えてあるものだから。
 たかだか十年前の幼少期のことを、まだ山も川も美しかったころ、として語ることに、ただ寓話的な導入の思いつくに任せた(そして主観に適った)模倣であるのとは別に、現にそういうリアルが蔓延っている世界なのだという意味をまとわせてしまうのは、お仕着せだろう。
 そのほかについては申し分なかった。森川葵は外見のみならず、喋り声も吠え声もよかった。