194組の3732555

魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢の中の輪舞』

 以下は、2011年春に観たときの感想です。例によって、まとまりきらないで下書きのまま放置していたものを、諦めて公開するものです。
 *
 大人になりたい心をその魔法の源とするモモに対して、子供のままでいつづけたい心の魔法のペーター(ピーター・パンをモデルにしたキャラクター)を置き、両者の、対決という仕方ではない邂逅と交差を描こうというのが、本作の発想の端緒であろうと思う。
 ペーターの作った子供の国には、大人になりたくない子供たちと、子供に戻りたい大人たちが、ペーターによって集められ住まっている。子供に戻りたい大人たちは、この国ではペーターの魔法で子供の姿に変えられている。そうして、この国の入り口は、大人には通れないようになっている。すなわち、この国には子供しか入れない。だからこその子供の国。そのはずだった。のであるが。
 モモの地球でのパパとママは、くじで当たった南極旅行の途上、ペーターの力で飛行機ごと子供の国に連れてこられる。そこで、他の搭乗者はみな子供の姿へと変えられるなか、パパとママの二人だけは大人のままにとどめおかれる。二人に、子供の国の子供たちみんなのパパとママになってもらおうと、ペーターは考えたのである。
 この子供の国がパパとママを必要とすることは、仮に、本作で扱われるところの大人の世界との争いが起こらなかったとしても、自分を慈しみ育んでくれるパパやママのような大人になりたいという心をいずれは子供たちの間に生み、子供の国を破綻に追い込んだように思われる。

ペーター「どう、シンデレラ姫?」
モモ「こんな! あなた魔法が使えるわけ?」
ペーター「子供の魔法さ」
モモ「でも、どっから見ても、あなた子供じゃないみたい」
ペーター「子供さ。決して大人にならない子供」

 翻ってみれば、モモと最初に出会ったときから実は、ペーターは半ば大人のような青年の姿をしていた。子供の国の子供たちを守るためにはそうならざるをえなかったのだろうが、ペーター自身そのことを自覚していたかどうか、それは分からないことだ。ただ、ペーターの願いは、どうしても矛盾に行き当たる。そのことは言えそうだ。
 さて大人との争いの果て、次の世界を求めて飛び立つときのペーターは、再び子供のような姿に戻っている。ペーターを中心に見たとき、『ピーター・パン』の原作にもかなったこれは円環の物語。
 だがモモは? モモの物語の形とは? 大人になりたい心の魔法に頼っている限りは、その力の庇護のもとにある限りは、子供でいることから抜け出せないのではないか。一点の翳りがそこにある。