峰子ちゃんはパン2○見え!

映画『若おかみは小学生!

 おっこだけにウリ坊たちが見えること。
 おっこがたびたび、両親をまだ生きているもののように見ること。
 死んだ人はどこへ行くのか。私たちの心のうちに、というのは一つの考え方だろうが、それとはまた別の事態を、この映画は示している。
 花の湯温泉のお湯は神様から頂いたもの、だから誰も拒まない。祖母や亡くなった両親から、おっこはいつもそう聞かされていた。どんな客にも分け隔てなく接するという春の屋の理念はここから生まれている。しかし、花の湯温泉の神様が拒まないのは、何も人間ばかりではない。おっこがはじめは毛嫌いしていたクモやヤモリもそうだ。幽霊だって鬼だって、そうだ。
 花の湯温泉の神様に奉納する神楽の舞い手に選ばれたおっこ。神様に最も接近しうるその神楽の本番中、おっこは、この瞬間がずっと続けばいいのにと思う。両親を亡くした後の、この瞬間に、続いてほしいと思う。
 なぜならそこには、真月がいる。ウリ坊がいる。美陽がいる。舞台を見上げる両親がいる。友達がいる。すべてを拒まない神様の懐に抱かれて、みんながいる。
 そうして花の湯温泉では、この瞬間はずっと続く。この瞬間の続きに、おっこはこれからもいる。