『メアリーの総て』
パーシーはメアリーのお腹の子を女の子だと決め込んでいたが(そして実際そうだったが)、『フランケンシュタイン』執筆中のメアリーは、自分が生み出しつつあるものが何であるのか、はっきりとは分かっていなかっただろう。生み出すことで初めて分かった。書いて、書いて、「THE END」までを書ききって、初めて分かった。そんなように思える。
そうして、読む側もまた、『フランケンシュタイン』を通して、自身の内にあって言い当てられないものの形を、初めて知る。『フランケンシュタイン』を読むとき、我々はみな、クレアのようだろう。あるいはゴドウィン氏のようで。