星期一回收日漫画; 陳巧蓉原作『ネコと海の彼方』(MFC)
そうだ!
もしも 言いたくないことが あったら
私たち ネコ語を使って 話そうよ!
(p.28)
こう言ってふたりは、ときに神妙な面持ちで、ときにしたり顔で、しばらくネコ語のやりとりをする。「ミャオ……? ミャオミャオ~」「ミャオミャオ! ミャオ~」
ふたりの表情の移ろいは生き生きとして、さも何ごとか、意味内容をともなった会話が成立しているかのようだ。しかし、かといって、ここでネコ語のふたりが話す言葉の、その内実をわれわれが求めることは、詮ないことだ。
というのは、ここで交わされるのが、ふたりだけが通じあえる言葉だから、ではない。ふたりはおそらく、言葉では通じあっていない。何らかの思いを込めて喋っているにしても、そうして表情や声音から何らかのニュアンスを嗅ぎとることはあるにしても、それらはいずれも一方的なものにすぎない。
当初の取り決めが、「言いたくないことはネコ語で話そう」ではなく、「言いたくないことがあったらネコ語で話そう」であったことに留意すべきではないだろうか。ふたりはネコ語で、言いたくないことを言っているわけではない。言いたくないことは、言わなくてもいい。人間の言葉では何も言えない、言いたくない、そんなときにも話せるためにこそのネコ語であり、そこで何が言われているかに関わりなく、ネコ語で話すことそれ自体によって、ふたりは通じあう。これはそういう約束だった。
だから、ふたりが最後に通じあえたのは、疑いがないことだ。