「だとしたら――倒されたのは僕だ。」

野村美月“文学少女”と繋がれた愚者フール』(ファミ通文庫

『わたしはあなたを信じています。あなたは勝利を得る方です。あなたの誠実と、本気さは、あなたをどこまでも生長させます。淋しい時はわたしがついています。しっかり自分の信ずる道をお歩きなさい。あなたの道は遠く、あなたは馬鹿な人からは軽蔑されます。だがあなたはあなたでなければ出来ない使命をもっていらっしゃいます』
 声をつまらせ、ぼくは言った。
「それは……杉子が本当に言ったことじゃなくて、野島の妄想じゃないですか」
「そうね。でも、わたしは、心葉くんの妄想じゃないわ」
(p.255)

 世間的には『友情』という小説は、友情の素晴らしさを謳っていたり友情と恋愛との間の葛藤を描いていたりするものだと思われているんだろうけれど、そして下手をしたら実際読んだ人ですらそう思っていたりするわけだけれど、私の読みではこれは「友情なんてものはないんだ」っていうお話なのであって、それでも自分を強く持って勉強していけばそんなことに拘泥する地点を越えたところに到達できるのだと(つまり山の上で握手する時を迎えうるのだと)あくまで信じて生きることを馬鹿正直に、馬鹿だと知りつつ正直に讃えた最上級の応援歌なのである。何かしらのファンファーレでもある。これはもう『お目出たき人』から『愛と死』に至るまで40年間にわたって全くぶれない実篤のポジションなので、つくづく馬鹿正直なのである。
 で、「文学少女」シリーズ3作目の本作は、『友情』の筋をうまく扱えているかどうかってことよりも、実篤流のこのエールを汲み取れているという点で十分評価できるものであろうと思う。
 それにしても上に引用した箇所がずるいったらない。実篤が妄想のうちにとどめおいた女性像を、現実の存在として目の前にあらしめるなんて! しかもこのあと胸に手を当てて鼓動のドキンドキンを確かめさせるなんて!!
 文学少女がだんだんブギーさんのように見えてくる昨今。