「ねつが でて くるしい。」

星をみるひと

 4回目くらいのプレイ。3回目くらいのクリア。
 ストーリーの全容を知っていると、このゲームをクリアできないプレイヤーによってみなみ(主人公のサイキック)たちが放り出されたままにされてしまったとしても、それはそれでひとつの可能性なのかなと思える。プレイヤーが放棄するという行為選択もゲーム世界内に意味を持って回収されうるのかなと。いるか族にもしゃち族にも出会わず、もしかしたら仲間のサイキックにも出会わないで、記憶を失ったままのみなみが気の滅入るような世界をさまよいつづける。これはこれで一作の星をみるひと。そうなればくるーすりが何らかの別の手立てを講じることだろう。そんなSSを誰か書いて下さい。
 このゲームの好きなところは、主人公たちに与えられた目指すべきゴールがないところです。ということで私の言いたいのは、マルチエンディングだから、ということではありません。主人公たちが与えられるのは命令ではなくあくまでも情報であり、それぞれ思い思いの希望が託されるだけであって、どうしても外の世界に行かなければならない理由というほどのものはない、彼らが宇宙空間を抜けているか族しゃち族に会いに行くとしたら、それはただ彼らがそうすることを意志したからなのである、そのレベルで常に世界から状況から選択を迫られている、いや本当は迫られていない、彼らが行動を起こす限りにおいて世界は応答する、そのような消息といおうか有り様といおうか、そこが好きなのです。前段落で「それはそれでひとつの可能性」って言ったのは、こういった認識があるためでもあります。
 彼らを運ぶ宇宙船が飛び立ってから600年。600年って、長いよ?