ちはやふる かみもこのよは あまたあり

人間椅子「平成朝ぼらけ」

 を聞いているうちになんとなく枕詞のことを考えていた。
 あとに続く語を導引するだけのために、限られた和歌三十一文字のうちの五文字を割くのはもったいない、って話はよく聞くし昔は私もそう思ってた。枕詞には意味がないって無駄だって。
 枕詞を使用する目的は、枕詞という定型化され多くの和歌に用いられてきた言葉を取り入れることで、過去になった和歌からイメージをいわば借景することにあるのではないか。そして未来になるであろう和歌からも。枕言葉自体には意味がないのだとしても、その背後にある膨大なイメージの呼び水として、並の言葉なんか比べ物にならないくらいそれは効率的に有効に機能しうる、そういうことなのかなあとぼんやり考えていた。
 でも、これって枕詞でなくてもいいのだったりする。和歌をたくさん知ってさえいれば、どんな言葉からであれ、他の和歌を連想することができるだろうから。
「つき」といえば二文字ですむところを「ひさかたのつき」と七文字費やす。すると三十一文字の中で月の占めるウェイトが大きくなる。この歌では月に重点力点が置かれてますよ。とりあえずはそれだけのことなのかもしれない。
「ひさかたの」と聞くとなんか和歌っぽい。それだけでもいいのかもしれない。
 無駄なのかもしれない。ただ、この「無駄」ってやつが却って意味なり価値なりを付与する、生み出す、そういうことは往々にしてありうるよね、とか。
 そんなことを考えていた。