アーヤお姉さん

太宰治全集 7』(ちくま文庫

 この巻は「惜別」以外は読んだことがある作品ばかりだけど、それでも一応頭から読んでまずは「津軽」を読了。
「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。」という作者のしめくくりの言葉に至って、この言葉を素直に受けとめることができるかどうかにこの作品の評価はかかっているように思う。そのとおり信じて、もって作品全体を振り返ったとき、良い作品だとしみじみ感じられる。というか、より正確には、最後にこのような宣言ができるためには、はじめから誠実に執筆しようという意志に貫かれていたはずなのであって、そう思ってみるとなんだか良いよね、というようなことかもしれない。
 このあとの、「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」にしたところで、その誠実さの影響下に書かれた言葉であってみれば、まっすぐ心に響くのだろう。なんで私が生まれたときすでにしてあんたの命がないのか、恨むぜ。何かを。

「金木へ、宮様がおいでになったそうだね。」と私が言うと、アヤは、改まった口調で、はい、と答えた。
「ありがたい事だな。」
「はい。」と緊張している。
「よく、金木みたいなところに、おいで下さったものだな。」
「はい。」
「自動車で、おいでになつたか。」
「はい。自動車でおいでになりました。」
「アヤも、拝んだか。」
「はい。拝ませていただきました。」
「アヤは、仕合せだな。」
「はい。」と答えて、首筋に巻いているタオルで顔の汗を拭いた。
(p.135「四 津軽平野」)

 ここでいう「アヤ」というのは女の名前ではなくて「じいや」という程の意味の言葉である、と数ページ前に注釈されているのを敢えて忘れて読めば萌える。という余談。このあと、木の枝で蛇をやっつけたり、絶壁によじ登って勇敢さを見せびらかそうとしたり、ウルシの木を見分けたり、怪力を発揮して巨大な木の根っこを放り投げたりします。