解放の尖兵

欅坂46サイレントマジョリティー」

サイレントマジョリティー」という歌を歌ったのがソロ歌手だったとしたら大した事にはならないのであって、そりゃああなたは声を上げられる側なんでしょとなるだけなのであって。大人数グループが歌い踊ることで狙われた効果が確かにある。歌唱パートの配分や振り付けまで含めたトータルでもって完成された表現になっている。
 一人から数人のパートの持ち回りで、はじめ歌は進行していく。そんな中、無言のうちに機械的に踊るその他大勢に、しかし我々の視線は向かう。何かを秘めた彼らの眼差しが、否応なくそうさせる。
 これは故のない転倒ではない。彼らこそ主役なのだ。そうあるべきなのだ。そのことを、この歌は歌っているのだ。
 やがてサビに掛けて、彼らは徐々に唱和していく。めいめいが躍動する。跳ね回る。そこに、カタルシスなどとは言い捨てられない、一種の醍醐味がある。
 君は? 君はYesでいいのか? 彼らの問いは、我々の自問の声に重なっていく。