空はどこまでもどこまでも青く遠く近く包みこみ見ている

AIR』#10まで

 そらはかつては往人で、しかしもう往人として関われないとしたら、観鈴にとって往人は確かに去ってしまったのだとしたら、これはどういうことになっていくんだろう。そらは画面に映ってはいるけど、実はブラウン管のこっち側にいるのと違わないのではないか。視聴者が登場人物に移入するって話はよくあるが、登場人物が視聴者の側に出てくるといったような事態。
 というか、今までは単に「視聴者→観鈴たち」という単一の視線だけであったところが、「そら→観鈴たち」というもうひとつの視線の存在というものをいやでも意識せざるを得ない事態に立ち入って、それはもう絶対的にそうで、画面にそらが映っていようがいまいが絶対的にそうなのである。そうなってしまったのである。めちゃくちゃ居心地が悪い。
 次の話を見たら全然違う様相を呈しているかもだけど、無知を活かして放言してみた。

AIR』最終話まで

 総集編を残して、とりあえずの終了。#11は予想を越えて居心地が悪い映像に! つまり出来が良かった。
 海に向かって伸びる坂道はわりと好き。何度もそこから海を目指して、海を目指しては辿り着いたり辿り着かなかったりした坂道。
 映画も見ねば。