顔も長くなってるはずよ! きっと きっと きっと!

田辺聖子『舞え舞え蝸牛 新・落窪物語』(文春文庫)

 ここにも一人のみなもちゃんがいるよと教えられたので読みました。みなもちゃんって、伊吹みなもちゃん。

「でも世間には、ちょいちょい、あるんでしょ。親の知らぬうちに、美しい公達が、姫君を盗みにくる、というような。私、『伊勢物語』の芥川みたいなお話が好きよ……」
 四の君はまだ恋を夢見る年頃らしく、うっとりと、瞳を宙にさまよわせて、
「業平みたいな貴公子が、私を盗み出して背負って逃げてくれれば……。そして、野原いちめんの露を見て、私は訊くんだわ、あれはなあに? あのきれいな珠は? って。そして、二人で倉にかくれていて、私は鬼にたべられてしまうの。業平は足摺りして泣くんだわ。――白珠か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを。……ああ、そんな恋がしてみたいわ」
(p.220)

「あなたの、率直さに負けたの。――とうとう、あらわれたんだわ、私にも、物語の中の人が……」
(中略)
「背負って逃げても、いいのですね?」
「露の玉を見て、あれは何なの、と聞くのよ」
「野宿ですか?……私は、鬼とでもたたかいますよ、あなたのためなら」
(p.281)

 これこのように! どう見積もったところで四の君の出てくるところが本編です。
 四の君は、四女つながりで言うなれば『若草物語』のエイミーのような好もしさ愛らしさがあります。かたやローリーは才気煥発な資産家、こなた兵部の少輔は馬面でうだつが上がらない。しかしそのような世間並みの尺度にとらわれず、いずれの者の良さをも曇りなく見つけ夫婦となる、それがひるがえって彼女を魅力的に映えさせていようと思います(彼女ってどっちの彼女やねん)。それにひきかえ落窪の如き、右近の少将が美形でなかったら靡いてないに決まってます、そういう女ですあいつは。
「これは日本のシンデレラ物語である」とあとがきにあって、落窪物語=継母によるイジメ=日本版シンデレラ、というのは確かによく言われることです。でも、このあっちもこっちも今ドキドキ乙女な騒がしい感じは、シェイクスピアの、たとえば『じゃじゃ馬ならし』などに近いよう思います。少なくともこの小説から得た印象では。