「おらやんだ、おら、茂吉すきだもの。」

松谷みよ子松谷みよ子童話集』(ハルキ文庫)

 冷たい、ひんやりした風がふき、おゆうさんは、はっと目をさましました。そして、白い霧の中に起きなおりました。チュッ、チュッ、すずめの声がします。ふりかえると、お地蔵さまのれんげの台の上に、三羽のすずめがまるい首をふりふり、話しているのでした。弥一はしあわせだよ。きれいな白い貝になったのね。(中略)見てごらん、あそこに見えるよ。おとうさんらしいすずめがいいました。みんないっせいに海の方をふりむきました。まだけむっている海をとおして、ゆらゆらなびいている海草の根もとに、いくつかの白い貝がねむっているのが、はっきりと見えました。
 ああ、あれが弥一だ。思わず、おゆうさんはさけびました。
(pp.12-13「貝になった子ども」)

 ちょっと長くなりましたが、「貝になった子ども」のクライマックスのこの場面の視点移動が素晴らしいなと思ったので引用しました。
 はじめ白い霧の中で目を覚ましたおゆうさんをぼんやりととらえていた描写は、「ふりかえると」というおゆうさんの動作にともなって、おゆうさんの視界に映るすずめたちの様子へと転じます。その後しばらくすずめたちの会話が続き、「見てごらん」というおとうさんらしいすずめの言葉を合図に、弾かれたように「みんないっせいに海の方をふりむ」きます。「みんないっせいに」と言えるためには、このとき、「みんな」をとらえられるところまでいったん視点は引いていることになります。かと思えば次の瞬間には、視点はふたたびおゆうさんの視点に戻ります。こうしていったん引いてふたたび戻った視点は、そのいきおいを借りて、おゆうさんの視線そのものとなって、けむっている海やゆらゆらなびいている海草の先にねむる白い貝が「はっきりと見え」るところまで、矢のように進みます。そこで、おゆうさんのさけびは発せられます。「ああ、あれが弥一だ。」このさけびは、視線の矢が弥一の貝を、いくつかある白い貝の中からあやまたず射抜いたことを、われわれ読者に告げるさけびでもあります。
 すばらです。