パンとサッカーくじの奇跡

ニュー・シネマ・パラダイス

 スクリーンで観られるまたとないチャンスに恵まれたので、一も二もなく出かけてきた。
 私が最も胸打たれるのは、葬列が広場に辿り着き、そこで振り返ったトトが、ナポリ人館長の顔を見つける場面。
 トトが村を飛び出して30年。辺鄙な村のこととはいえ、30年も経てば多少は様子も違っている。見知らぬ人も多くなる。そんな中でトトは、お世話になった、馴染み深い顔を、見つける。
 トトが振り返り、カメラがパンし、館長の顔を捉える。そのとき、観客である我々もまた、安堵する。ああ、いてくれた、知ってる顔だ。
 我々の発見がトトの発見であり、我々の覚える安堵が、そのままトトの安堵なのだ。そう気づくときの感慨はちょっと言い知れない。
 いくつもの伏線がはたらいてこの映画を感動的なものにしている。それは勿論そうなのだろう。けれども、私にとっては、作劇の技巧以前のところで、顔というものが、映画において根源的な力を持つ、そんなことを教えられた映画でもある。
 サッカーくじ当てたいよねという映画でもある。