きれいは穢ない、みれぃは語尾。

マクベス』(2015)

マクベスは眠りを殺した」という台詞が映画にあったかどうか、昨日観てもう思い出せない。
 かねて承知の、起こるべき事どもが繰り広げられるところを、その現場を、無言で見届ける魔女たちのイメージは格好良かった。一方で、ラストシーン、剣を手に取り逸散に駆け出すフリーアンスの図は、過剰というか、余計な付け足しのように思えた。
 マクベス夫人が夢遊病者のように、これまでの罪について口走り、手を染めた血の染みの消えないことに怯える場面も、映画ではよく分からないことになっていた。馬を走らせやって来た、小さな教会風の建物、そこで恐れながらに罪を打ち明けることは、それが告解として受け入れられ、やがて来る死の安らかなるを約束する手続きとして機能する、ということなのだろうか。また、無人と思われたその建物の、マクベス夫人の視線の先に映し出された赤子は何だったのか。マクベス夫人の見た幻だったとして、彼女は何を見たのか。
「あなたの心のなかにも、マクベスがいる。」というコピーが一番分からない。そもそも運命を苛烈に求めるマクベス、いかな忌まわしい運命にも「待て」を言わないマクベスを、そう誰も誰もが宿しているとは思われないが、仮にこのコピーを考えた人の心のなかにはマクベスがいるのだとして、お近づきになりたくない。