「戦いは誰のために 〜Vガンダムの話〜」

会誌掲載記事の再録



戦いは誰のために 〜Vガンダムの話〜


エスパー清田の弟子     

◎祝? 二十周年

ガンダム」の初代が放映されてから二十年だそうだ。巷ではこれを記念して、というよりはこれに便乗して数多の「ガンダム」関連本が発行されている。で、二十年目(正確には二十一年目か)の「ガンダム」が言わずと知れた「∀ガンダム」なのだが、ここに至るまでの二十年を、あるいは「∀」を語るにあたっては幾つかの方法が考えられると思う。単純にこれまでの「ガンダム」からの流れの中で「∀」を見るやり方、初代と「∀」とを見比べてその転回(つまり「ターン」という事だけど)において何が回帰され何が新生しているのかを考えるやり方、「ブレンパワード」の次作として「∀」を捉えるやり方、等々。これらはどの立場に立った方が良いとか正しいとかいう事は当然なくて、別にどのように見て、考えてもらっても一向に差し支えないのだけれど、個人的には「ガンダムZZ」までから「Vガンダム」への転換と「Vガンダム」までから「∀ガンダム」への転換とを対比して考えてみると面白いのではないかと思っている。しかしながらここではその試みはしない。というのは紙面の都合という事もあるが、この原稿は「ガンダム」総論ではなく飽く迄「Vガンダム」という一作品について書く事を依頼された物であり、同様にして論じられた他の執筆者の個別の作品観と合わせた全体でもって「ガンダム」二十年史を眺める事を可能たらしめようというのが今回の特集の目的である、と私は理解するからである。よって面倒だから等では断じてない、その筈だ、とまず自分に言い訳。

◎綺麗なお姉さんを見るとウッソは幸せになってしまいます

Vガンダム」は一九九三年四月からテレビ朝日系で一年間全五十一話放映されたアニメで云々、といった事は周知の事と思うので飛ばす事にして、さて皆さん。皆さんは「Vガンダム」というと、女の人が何だかいっぱい出てきて、ウッソをからかったり困らせたり取り合ったり可愛がったりお風呂に入れたりきわどいコスチュームで襲いかかったりして、それから死ぬアニメ、等と思ってはいないだろうか。いや、否定はしない。まあ概ねその通りである。第何話かの次回予告でシャクティに指摘されるようにウッソは綺麗な女の人と見るや敵味方構わずでれでれし、例外といえばスージィくらいのものだろう。でもスージィは子供なのでさすがに女の人とは言えないか、やはり。という訳で、「Vガンダム」はウッソが綺麗なお姉さんに囲まれて幸せなお話である。等と結論づけてしまうと顰蹙ものだろうから(私はこれで構わないと思うのだが)、もう少しだけ真面目に考えてみよう。

◎父の戦場・母のガンダム

Vガンダム」はザンスカール帝国とリガ・ミリティアとの間の戦争の物語であり、それに巻き込まれる少年少女の物語である。少年少女は戦火の中で親と別れ別れになっているのだが、主人公の少年ウッソとその幼馴染みのシャクティは、一度は親子を引き裂いた戦争のために今度は再び親との出会いを果たす。それぞれの形で戦争に与する親達を見て或いは戸惑い、或いは葛藤を覚え、そしてやがて少年少女は親を越えて立派に成長を遂げるのである。等々。やはり富野作品を語るうえで「親子」という問題設定は避けて通る訳にはいかないよね。
 嘘である。馬鹿馬鹿しい。富野作品に関する文章を読んでいると、とりあえず親子について(或いは女性や(次世代の存在としての)子供についてだったりもするのだが)語っておけば良いか、といった手合いの物がたまにあるのだけれど、もう飽き飽き。その程度の事は別にやってもらわなくても大抵の人はとっくに考慮済みだと思う。ので、この観点はここでは却下させてもらう。

◎勝利のVだ! Vガンダム

Vガンダム」の「V」は言うまでもなく「Victory」の「V」である。勝利。ではこのアニメを通じて一体勝利を収めたのは誰であったのか。エンジェル・ハイロゥも落としたし一応リガ・ミリティアが勝ったのでは、という意見については、確かにそうではある。そうではあるが、勝ったとはいえシュラク隊は全滅し、ジン・ジャハナムをはじめとするリーダー達も皆死に、オデロさえ死んで、大人で生き残ったのはマーベットくらいである。皆戦死して勝利を喜ぶ事のできる者ももはやなく、これで本当に勝ったと言えるだろうか。
Vガンダム」はよく人が死ぬアニメであった。ザンスカール側にしてもリガ・ミリティア側にしても。しかし逆に生き残った者もいる。それはウッソでありシャクティでありまたカテジナでもある。この者達は元々はカサレリア、ウーイックといった所で平穏に暮らしていたにもかかわらず、戦争によってその生活を狂わされてしまったのであった。しかし最終回ラストは彼らが再び故郷の地で静かに暮らすシーンである。彼らは戦争のもたらした悲しみを背負いつつも元の平穏を取り戻したのだ。そしてこれは誰の願いであったろう。シャクティの、である。彼女はウッソがリガ・ミリティアに協力してモビルスーツに乗るようになった当初から、ただその事だけを願っていた。ウッソが女によって誤った方向へ進もうとする度に、彼女はウッソを引き戻し連れ戻してまた元の生活を取り戻す事を望んでいた。そして今、それを邪魔する者はなくなった。戦争は終わり、ウッソを誑かそうとする女は皆いなくなった。そう、彼女はこの長く辛い戦いに勝ったのである。ただ一人。
Vガンダム」とは凡そそんなような作品であった。

◎まとめというか、お詫びというか

 ってこれでは結局ただのおちゃらけですかそうですかそうですねすみません。でもこれでも結構本気だったりします。不満のある人はこんな考え方はどうかしてるぞという事を再確認できたと思って勘弁して下さい。逆に大賛成だという人は、いないとは思いますがそれはそれで勘弁して下さい。こんな奴もいるのか程度に思って頂ければ好都合です。
 それから、「Vガンダム」をまだ見た事がないという方はとにかく一度一通り見る事をお勧めします。面白い作品です、ちゃんと、本当に、はい。こんな文章書いてる奴の言う事なんか信用できませんか。でも面白いんですよ、見なきゃ損ですよ。バイク乗りとか出てきますよ。ギロチンとかサイキッカー集団とか。
 最後に。もしかしたらネタバレという事をこの文章はしているかもしれません。というのもどういった物をネタバレというのか知らないし気にしないからですが気にしないで下さい私は気にしません。
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 やっぱり一応ちゃんと謝っておきます。色々な事にごめんなさい。