最低限の連続性の中

「彼のことを、森光子さんだと思ってください」

 というバッファロー吾郎のネタがとても好きで、好きで。こう紹介された相方が豪快にプロレス技をかけたりするという内容で、森光子に似ているところもなければ似せるつもりはさらさらない、しかし呪を掛けられたように森光子の姿がダブって見えて、それでおかしくて仕方がない。笑いというのは想像力とギャップが生み出すものだと強く思い知らされる訳です。
 最近ものまね芸人のホリがやっている「誰々が絶対に言わないシリーズ」というネタも、これに通ずるものがある。このネタがものまねの定番の型のひとつである「もしもシリーズ」と根本的に異なるのは、後者は「もしも」が最初に提示されればその中でおおよそ想像のつく範囲のものまねがあとに続くのに対して、前者は「絶対に言わない」という否定の特性を生かして予想もつかない、時には無茶でさえあるどんなものまねをもそこに乗せることができる点にあると言える。構造的にどうしたって笑うしかない空間を用意することに既にして成功しているのである。
 と、ここで昨日の『ガキの使いSP』に話は移るのだが、山崎邦正が「ビートたけしが絶対に言わない」というネタを要求されて言ったことには、「ダンカ〜ン、コロッケ取って〜」。ものまねと言うにはあまりに似ていないこのひと言によって、事態は極まってくる。似ていないという点では最初に挙げた「森光子さん」ネタと同じだが、今度の場合は「似せようとしている」という前提がある。
 似せようとしているのに似ていない、ものまねなのに本人は絶対に言わない、となると最早何ものでもない。しかし、だからこそ、はじめに掛けられた期待の過剰が、そのギャップに堰を切って、笑いとなって、溢れ出す。

白痴化したパム

 その後もきちんと描き分けられているし演じ分けられてもいて、いいね。これが以前と変わっていないとしても、ためにかえって萌える道もある、というのが前段の要旨だと思ってもらっても構わない。本当に。