「そして 幸せな あなたのお人形」

ジャン・ボードリヤール塚原史訳『暴力とグローバリゼーション』(NTT出版

 これで『パスワード』から始まるNTT出版三部作は読了。しかしそれ以外の著作はというと『象徴交換と死』を最初の数ページで断念したきりなので、また徐々に手を付けていきたい。この訳者による『ボードリヤールという生きかた』とか、「現代思想ガイドブック」シリーズ中のボードリヤールの巻とかも。

ローゼンメイデン

 放送時にラスト2話を録画し損ねてそれからずっと見てないままだったのを、折角なので最初から見直した。

ジュン「悲しい話だな」
真紅「そう?」
ジュン「そうだろう? そんな理由で作られて戦わされて、お前らのこと何だと思ってるんだよ。悲しすぎるよ」
真紅「……私はそうは思わない」
ジュン「え――」
真紅「だって、生きることは、戦うことでしょう?」
(#10「別離 abschied」)

 私がアリスにふさわしいか分からない。けれど私は戦う。戦うということは、生きることだから。見ていてお父様、私の生きる姿を。
(#12「真紅 Reiner Rubin」予告)

真紅「ねえ? ジュン」
ジュン「ん?」
真紅「これが、今のあなたの心の中よ。とてもきれいになったこの空も、ずっと晴れてばかりではないわ。時には雨が降り、嵐が吹き荒れることもある。景色が移り変わり、放っておくと、取り返しがつかなくなることもあるの。そのたびに、あなたは戦い続けなければならない、それが――」
ジュン「それが、生きていることだから」
真紅「(微笑む)いい子ね、ジュン」
(#12「真紅 Reiner Rubin」)

 この「生きることは戦うこと」あるいは「戦うことは生きること」というのが一体何のことを言っているのか、それがずっと分からなくて、最初の引用の箇所は漫画では「戦うことは生きること」と全く逆のことを言っているのだから余計にこんぐらがる始末。
 で、漫画の場合については途中までしか読んでないから分からないけど、アニメでは両者の違いっていうことをあまり区別していないように思う。というか、区別はもちろんあるけれども、「生きることは戦うこと」だしそしてまた当然「戦うことは生きること」である、というように両者のどちらかを強調するということをしていないように思う。それはそれでひとつの見識。戦うことと生きることが等値のものとして作られたドール達であってみれば。
 個人的には、単純に言葉の問題として見ると、「生きることは戦うこと」=生きている限りは戦いということから離れてあることができない(生きることは、取りも直さず戦うことである)、「戦うことは生きること」=戦うことで初めて「生きる」という次元が立ち現れてくる(戦うことは、取りも直さず生きることである)、という意味合いにそれぞれ受け取れるんだけど。