「法律には触れます懲役にはなります」

ワンワンセレプー それゆけ!徹之進

 今回はワールドカップの話。徹之進がパンツを履いてなくてゴレオ(ワールドカップ公式マスコット)みたいだった。でもユニフォーム姿になると履いていた。
 高木礼子はパンツを履いていない動物声優ですな。

柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫

マクベス論」しか読んでなかったので、それを読み直しがてら残りも読んだ。

 漱石のいい分をいいかえれば、もし人間が犯罪行為の過程をありのままにいうことができたとしたら、その罪はない、もっと極端にいえばべつに表現してもしなくてもよいが本当は誰でも無罪なのだといっているのだ。
(「人間的なもの」(『意味という病』p.254))

「人間的なもの」の中で、漱石の講演「模倣と独立」を引用した上でこのように言っている。インデペンデントなその人自身の内では、確かに柄谷行人の言うように、そもそも罪ということはありえないのかもしれない。しかし、ここで漱石が「本当は誰でも無罪なのだ」とまでの強い主張をしていると見るのは行き過ぎのような気がする。「他者を考慮すれば功徳としてはありのままを証す方が良いのだし、その心的経路過程を詳らかにされれば、他者の一人であるところの漱石は、少なくとも私は恕しうる、より積極的に恕すべきだと私は思う」とそういうことなんだと思う。外からは端的に「罪はない」とは言いがたいから、「インプレッス」ということを漱石は言うのだと思う。
 この間読んだ『倫理21』にも「模倣と独立」の同じ箇所の引用があって、気になったので青空文庫で読んだ次第。ついでに森鴎外寒山拾得」も読み直した。