竹宮ゆゆこ『わたしたちの田村くん』(全2巻/電撃文庫)
第1話のトラック周回が結局全てを象徴していたのだなあと、読み終えてみると分かる仕掛け。あと月と。本当ははじめからあからさまに分かる。何度も分かる。
地の文に時折現れる「〜なんだ」という口調の不器用さが好ましい。
かわいそうな女の子など、いなかったのだ。
(v.2,p.209)
バタイユやら澁澤やらを読んでも所詮は14、5歳の女子で、本人の深刻さがむしろイタいかわいそうな子ならいます。「偽愛パラノイア」って、うわぁ……。
桂遊生丸漫画;Key原作『AIR』(全2巻/角川コミックス・エース)
以下はアニメ版しか知らない人の感想です。
往人さんは観鈴に笑顔を取り戻すための力となって世界に放散し溶け込んで、観鈴が晴子さんと笑って暮らせる世界の原動となり保証となって、かえって観鈴が笑える世界にはそこに必ず往人の気配があることが証されるような。それが往人が「そら」になったということなのだ、とこの漫画は提示しているように思う。カラスの「そら」ってことではなくて(往人がカラスになったなんて漫画には描かれちゃいない)、そもそもその名の由来であるところの、ただの「そら」。まあ、思い込みでいいんだけど。
なんて書いてると『仮面ライダークウガ』を思い出すわけです。五代君は最後旅立って、世界中の子供を1999個の技で笑顔にする。どこにもいなくなってしまったけれどどこにでもいて、子供達の笑顔のあるところにその気配が感じられる。「空」=「我」だし。
漫画版を読んでいると川上とも子の声が聞こえてくるようで、久川綾の声が聞こえてくるようで、それがまた極上の演技で、やっぱりこの人たちは上手いなあと感心してしまうのですがそれは妄想です。妄想で勝手に演じさせて勝手に感心している変態です。