「君にふた心」

源実朝

吉本隆明 五十度の講演』で「実朝論」を聞きながら、右手に小林秀雄の「実朝」、左手に太宰治の「右大臣実朝」という、なんとも至福の時間を過ごしていました。
「右大臣実朝」は、やはり終盤、語り手の私と公暁とが由井浦で語らう場面が、どうしたって読者をひきつけるわけですけれども、その理由はいくつか挙げられるだろうと思います。
 ひとつは形式的な理由、あるいは見た目にわかる理由といってもいいかと思いますが、ここで交わされる会話が双方共に鈎括弧で括られているということがあります。これは大したことはないようですけれどもしかし重要な点だといえると思います。
 この場面までは、会話といってあらわれるのは将軍家(実朝)と誰かとの会話だけです。しかもそれはポツリ、ポツリと断片的にしかあらわれません。そうして、将軍家の会話文は鈎括弧なしの漢字カタカナ混合文で表記されています。この表記法は、語り手の私にとって将軍家が、どこか常人を超えた、尊くも量り難い存在であることの表現でもあるでしょうし、同時に読者にもまずはそのような存在として将軍家を感得させようという、そのような算段からとられた手法でもあるのだと思います。このような表記法で描写された将軍家の会話というのは、お読みになった方は実感としてよく分かっていただけると思うのですが、現実でないような、ふと俗世から抜け出したような、そういうところにあるものとして読み取ることができます。
 一方で語り手の私と公暁との会話は、いわゆる通常の会話文の体裁をなしています。互いに鈎括弧で括られた言葉を発し、将軍家の会話に比べればかなり長いシークエンスのやりとりが、やりとりそのままに描写され読者に提示されています。
 するとこれはどのような効果が生んでいるかと言いますと、こう考えてみることができると思います。つまり、語り手の私にとって将軍家は忘れがたいお方だとはいっても、その思い出は半ば薄れ断片的になっている、その薄れかかった思い出を尊崇の念からの美化によって補い語られてきたのが公暁との会話以前の各場面なのであって、そのことと対比されたときに、公暁との会話の場面というのはきわめて現実的で身近で卑近であって、そうであるがゆえに、あるいはそうであるということは取りも直さず、語り手の私にとって肌身が覚えて忘れがたい出来事であったことを証しているのではないか。この場面だけが語り手の私自身の体験であるという端的な事実が、依拠すべき第一の根本としてあることはもちろんですが。
 そしてもうひとつは、これは創作上の理由ということになるでしょうか、つまりこの場面が、作家のまったく独創によるものであるということです。
 この作品はある程度までは史実に基づいて書かれています。吾妻鏡からの引用とそれに対応する太宰の翻案とが交互に提示されながら物語は進行していきます。そもそも吾妻鏡が正しく史実を伝えているかという問題は別個にあるでしょうが、このさい大した問題ではないので、物語が、吾妻鏡という先行作品の翻案の域内にとどまりながら進行するということにだけ注目した場合に、語り手の私と公暁との会話の場面というのは、その域を超えた創作の次元にあるといえると思います。
 そのような次元に不意に投げ込まれたときに、そこで描かれる創作のやりとりに、公暁の挙措動作に、作家の精神というものがひときわ鮮烈に読者に感ぜられる、そのようなはたらきのために、この場面が魅力を持つのだろうということです。
 あくまで創作なのではあるけれども、そのためにかえって、アンチヒーローとしての公暁のリアル、公暁なまというものが非常にありありと、「ほんとう」として心に届くのだと、そのように言ってみたいのです。