しんいちろーの くつーにゆがんだ かおみたいー♪

true tears

 8/5〜9の期間で見終わっていた。

純「あいつが泣けないのはどうしてだ?」
眞一郎「自己……暗示」
純「それだけか?」
(#13(終)「君の涙を」)

 それだけではないとしたら何なのか? 眞一郎は答えられない。そこでこの問いは、そのままわれわれ視聴者へと投げかけられる。
 おばあちゃんが死んで辛く、現実に向き合わなくなったから、それで乃絵は泣けなくなってしまったということなのだろうか。ストーリーを辿っていくと、まずはそのような理由が考えられるように見える。そのように仕組まれている。しかし。そんな単純な話なら、これほど感動的なことにはならないと思える。
 涙について。心が震えたときに泣くのではないかと眞一郎の父は言う。「本当に大切な人を思うと、涙は勝手にあふれてくる」と乃絵のおばあちゃんは言おうとしたのではないか、そう眞一郎は解釈する。
 みんな的外れなんだ。そう思える。
 乃絵が泣けないのはなぜか?
 そもそもこの問いの立て方が間違っているのではないか。乃絵が泣けない理由を問うことは、泣けなくなった時点より過去に原因を求めることなのだし、泣けなくなったところから、涙を取り戻すことを使命とした乃絵の生がはじまるのだとすれば、この問いに囚われることは現在の乃絵を見ないことでもある。
 *
 おばあちゃんが死んで空の向こうに乃絵の涙を持っていってしまったとき、しかし乃絵は涙を取り戻さねばならないと知っていた。それを自らの使命とした。そこで「飛べる」雷轟丸を求めることになる。
 飛べる者を友とし、飛べぬものを蔑む。
 ところが、雷轟丸が去ってしまうと、今度は「飛べぬ」じべたに自らを重ねはじめる。そうしてまたしても、この自己投影は裏切られる。

乃絵「やっぱり私、お前の気持ちは、わからないわ。この地上には、苦しいことが、辛いことが、たくさんあるわ。飛びたい、全てから逃れて、自由に羽ばたきたい、そう願った方が、きっと楽なのよ、じべた」
(#11「あなたが好きなのは私じゃない」)

乃絵「やっぱり……やっぱり、駄目なの。自分で決めなきゃ、楽しくないの、嬉しくないの、笑えないのね。やっぱり自分で決めなきゃ、泣けないのね」
(#12「何も見てない私の瞳から…」)

 飛ぶ強さも飛ばぬ強さも持たない自分は駄目なのだと乃絵は思う。しかしこんな事は、涙を取り戻すことを使命としたときから知っていたはずなんじゃないか。
 はじめから知っていて、それでもなお確認せずにおれない、そんな思いが、あえて雷轟丸を頼りじべたにすがりする過程を必要としたので、乃絵の思いにそのまま照応するかたちで物語は展開しているといえる。
 *
 ラストに向けて、泣けない乃絵の前で次々と涙が流されていく。
 思えば、比呂美の見せた涙は、純の見せた涙は、眞一郎の見せた涙は、選択した者の涙ではなかったか。
「きれいよ。あなたの涙」
 その涙はきれいで、決意に満ちて、本当だ。
「その本当の涙を知ることが出来ることは」
 その、本当の涙を知ることは、それが「翼」を手に入れることなのかもしれない。それは飛ぶための翼であるかもしれないし、飛ばないための翼であるかもしれない。
 本当の涙は意志と共にある。

乃絵「飛ぶことのできた雷轟丸が、そのあと、どうなったのか、自分で考えてみる」
(#13(終)「君の涙を」)

 歩き始めた乃絵のその後を、我々は憶測するしかない。しかしいつか、乃絵の涙を拭う手が現れただろうことを私は信じる。
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 #11で比呂美が部屋干しのブラを足で取ろうとして転ぶサービスカットが、最終話で180度開脚できるようになるサービスカットへの伏線だと気づいたとき、スタッフの変態さに驚異してしまうのでありいいぞもっとやれ。それが同時に、待つことの大変さをも表しえているのだから、なおさら驚異するわけで。
 #1の眞一郎と乃絵の最初の出会いの場面で、木の上の乃絵の背中のあたりに太陽が重なっているのは、この出会いがいずれもたらすであろう翼のイメージなのか、すると#12の飛び降りの場面が夜であることは翼の不在のイメージなのか、とか。
 下川みくにの初期の歌の世界だなあ、とか。
 とか。
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 気がつけば2ヶ月近く下書きのままほったらかしたので読み直してみたけど、どうにもまとまりそうにないのでそのままアップします。