天然の向日性

ヴィヨン、パンドラ、その周辺

 太宰治生誕100年のセンテニアルイヤーを記念し便乗して、太宰作品がさかんに映画化されている、そこで「ヴィヨンの妻」「パンドラの匣」の2作を見、前後して『太宰治全集 8』を読了した。
 映画「ヴィヨンの妻」は、原作の改変点や付加部分がいかにもあざとく、大谷に太宰自身を重ねすぎの嫌いがあり、しかしその嫌い厭みのためにかえってニヤニヤケラケラ笑いながら見ることが出来たというのも事実。
 映画「パンドラの匣」は、原作のひとつのキーであるところの植物の向日性に言及されることがないのだけれども、いわずもがなで作品中に浸透している精神でこれはあるから問題ない。太宰が親切な作家だというだけのことでしかない。あるいは原作で言及されているからこそ、安心してその方向で映画化できたというか。
太宰治全集 8』は、疎開して実家の離れに暮らすようになってからの作品が収められており、つまりまさに先日訪ねてきた新座敷で書かれた作品群であり、あの押入れからウィスキイを出したのだぜ(「親友交歓」)とか、あの火鉢をかかえたのだぜ(「庭」)とかの余分の楽しみが得られた。