「あれは、浪ばかり」

『映画ドラえもん のび太の人魚大海戦

 物語の要所要所が非常に短絡しているように思えて、スムーズな連続性というものを欠いているように思えて、映画を見ている間に「これはひどい」って何度叫びそうになったかしれないんだけど、しかしどうも、意図的にというか意識的にというか、敢えてそのように構成されているのではないかとだんだん理解されてくるから困る。わざとなのであれば、あとは見る側の問題に帰されてしまうから。そして私にはその意図がまるで分からないから。どんなポジティブな効果があるのか誰か教えて。
「五角形」からの連想でスネ夫が「ぎょしゃ座」のことを口にしてからの一連の流れはなんだったのか。本星と衛星4つで五角形を形成しているものが、地球から見て五角形の星座に見えるわけがない、それをスネ夫も分かっているから軽く触れただけなんじゃないだろうか、そう思いたいところなんだけど作中ではそのことは明確ではない。ただ、それをジャイアンしずかは真に受けたことは間違いなくて、ソフィアに無益な期待を持たせて引っ張りまわして、結果ソフィアを失望させた(ぎょしゃ座を見つけられなかった。ソフィアさんの母星なのに!)と言ってよりによってスネ夫を糾弾して。これが子供の残酷さというものを表現しようとしたシーンでないとすれば、「ぎょしゃざ」→「ぎょうざ」というダジャレをジャイアンに言わせたいがためだけに仕組まれたのだとしか考えられない。
 ドラミが二度目に「人魚についてまた面白いことが分かったの」と電話してきたのが、結局なんの伏線でもなかったことにも驚いた。ドラミを登場させるためのただの口実だったのだろう。
 田中理恵の演技だけは光っていた。田中理恵ファンだけが見ていい映画だと思う。それから個人的には、アクアから移民船に乗ってきたと聞いて、人魚族がエクソダスしたのとイルカ族シャチ族そしてサイキック(いや人類)がアクアに移り住んだのと、その前後関係がどうなっているのかそればかり気になった。
 テレビでは今ちょうど『新宇宙開拓史』が放送されている。見ませ。