昔に食べたイチゴタルトのあの味が忘れられないんだ

『夢色パティシエール』#48まで

 追いついた記念にチョコケーキと抹茶ケーキを食べている。(というのはこの記事の下書きを書いた9/17の話で、今はミルクレープとガトーショコラを食べている。)
 *
 スイーツ精霊スピリッツとか出てきて、魔法モノと言えなくもないけれど、出来たスイーツに魔法の光をふりかけてスイーツがおいしくなることもなければ、魔法で成長して技術が上がって自力では作れないおいしいスイーツを作ることもない。精霊たちが菓子作りを手伝うときには、精霊たちは手を動かす。魔法は、コミックリリーフというか、添え物というか、基本的に本筋には影響していない。そのうえ、精霊たちにリリーフしてもらわなくても、いちご自身が十分にコミックを担っている。
 レシピを知りえないお婆ちゃんのイチゴタルトの方が、むしろ魔法と言えるかもしれない。食べた人を幸せにする魔法。幼いころにお婆ちゃんのイチゴタルトを食べさせてもらったとき、その魔法に魅了されたいちごは、自分でもお婆ちゃんのイチゴタルトを作って人を幸せにしたいと思う。
 お婆ちゃんのレシピ帳が見つかっても鍵が掛かっていて開くことが出来ない、鍵が開いてもイチゴタルトの項だけ消されていて読めない、イチゴタルトの項を取り戻しても精霊の言語で書かれていて読めない、というように、お婆ちゃんのイチゴタルトのレシピを知ることはどこまでも先延ばしにされる。そうして、いざ、バニラが魔法でレシピの精霊語を日本語に書き換えることができる、と言い出したとき、いちごはその申し出を断る。

樫野「俺たちパティシエは、他人のものじゃなくて、自分が作ったオリジナルの味で勝負すべきだ。俺はそう思うがな」
(recette 46「お婆ちゃんのレシピ」)

カッシー「なるほどな。でもそれってお前の味じゃないよなー。俺はレシピを盗み、同じように作ってみた。だけど、どんなにおいしいと喜んでくれる人がいても、うれしくなかった。それは他人の作った味だからだ。誰かにおいしいって言ってもらえて、本当にうれしいのは、自分が作りだした味だからなんだ。俺たちのクッキーを食べて、おいしいと言ってくれたいちごみたいに」
(同)

 彼らの言葉にそのまま感化されたのではないと思う。
 確かに、いちごにとって、食べた人を幸せにするものとお婆ちゃんのイチゴタルトとは、はじめイコールだった。それは、いちごがまだ夢に歩きはじめておらず、何も知らなかったからだ。けれども、お婆ちゃんのレシピに辿りつくまでのあいだに、がむしゃらにスイーツ作りの勉強に特訓に励んできた中で、自分は何のためにスイーツを作るのか、スイーツが人を幸せにするとはどういうことなのか、自分なりの思いが、明確な形を持たないまでも、いちごの内側で少しずつ醸成されていった。彼らの言葉は、その思いに形を与えるきっかけとなったにすぎないのだと思う。「すぎない」といってもありがたく愛情深い言葉ではもちろんある。
 レシピを解き明かすことは、魔法を魔法でなくすることである。しかし、そんな感傷的な理屈よりも大事なことには、魔法はつねに他者の魔法である。

いちご「これは?」
ヒカル「レシピ帳だ。お婆ちゃんの思いがつまった、あのイチゴタルトのレシピが書いてある。だがどうしても鍵が見つからなくて、見ることができないんだ」
いちご「鍵が?」
ヒカル「お婆ちゃんの遺品だし、壊したくないからな。だからもう、誰も読むことができない。いちごは、お婆ちゃんのイチゴタルト好きか?」
いちご「はい、大好きです! あ、おじさんのも、好きですけど……」
ヒカル「っはっは、子どもが気をつかうな」
いちご「でも、ホントに」
ヒカル「この手帳、いちごにあげるよ」
いちご「はっ。だめですよ。そんな大切なもの」
ヒカル「おじさんは、自分のタルトを完成させてしまったから、もう必要ないんだ。それに、いちごが持っている方が、お婆ちゃんも喜ぶ」
(recette 10「思いでのイチゴタルト」)

 これまでのいちごは、お婆ちゃんのレシピを必要としていた。それが今では必要でなくなった。しかし、それは単に不要になったのではなく、いちごにとっての役目を果たし終えたのだ。そして、ヒカルおじさんもおそらく同じ道を通った。さらに言えば、これはパティシエ/パティシエールを目指したすべての人が通った道なのだし、これから目指すすべての人が通る道でもあるし。
 精霊は、そういう志を持って励む者を、ただ、応援する存在なのだと思う。