わかつきめぐみ『So What?』(全4巻/白泉社文庫)などのこと
悩んだり打ち明けられない思いがあったり、一方で相手を心配したりして、そうしてみんな一緒にいるのが日常で。
知らなくてもよかったかもしれないことを知ったあとに、気づかなければ済んだかもしれないことに気づいたあとに、やって来るのは少し違ってしまった日常で。
別れ別れて写真と記憶が残った先に、動き出すのもまた次の日常で。
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わかつきめぐみ『So What?』の白泉社文庫版を買ったので7、8年ぶりに読んだら、三度目なのに全く内容を覚えてなくて、新鮮に読めてよかったですなんて暢気なことは言っていられずただ凹む。読中感、読後感といったものを自分自身腑に落ちる形で言語化できないせいでもあろうから、くるくる財産目録の「『So What?』のこと」を読みに行って理解した気になる定番コース。
彼女たちだけが、「日常」に「はじまりがあった」ということを知っている。だからこの「日常(ならざるもの)」が、終わらねばならないということを知っている。(……)
(『So What?』のこと(くるくる財産目録))
彼女たちだけが知っているのは、そこではじまりそこで終わるのが、ほかの誰でもないまさしく彼女たちだけの日常だからなのではないか。そんなことを思う。いったい日常とは、場に属するものなのか、人に属するものなのか。悪い頭で考えても結論めいた何も得られず、そうしていつか内容を忘れた私は四読目にもきっと凹む。
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タイムマシンを正規の用法で作動させ(そして壊れ!)、元の世界へ、しかし本当は生まれなかったはずの世界へと恐竜を送りかえす『ドラえもん のび太の恐竜(2006)』についても誰か書き留めていてくれたらよいと思う、というのはまた別の話でこそあれ、ライムが阿梨たちの世界に迷い込む前へと時間を巻き直すことをしないことと、タイムふろしきで恐竜を卵に戻してしまうことなんて思いもよらないこととは、何かしら同種のことがらなのではないかと思う。
のび太たちが回帰した日常は、のび太が恐竜の卵を発見する前の日常と、そこに存在するものが同じという意味では外見上は何一つ変わらないようでいて、でも以前とはどこか違った日常なのだと思えるし、彼らもきっとそうわかってる。きっと彼らは忘れない。