「死を待たせてはいけない」

1ヶ月経って思うこと

 川上とも子さんが亡くなって1ヶ月経った。1ヶ月経っていまだに彼女の出演作品を見直すようなことをしていないのは、亡くなったという現実に向き合えないからというよりは、彼女の演技の数々が自分の中になお鮮明であるためその必要を感じないからで。
 訃報にはもちろんショックを受けた。でも、それに対する言葉は浮かばなかった。彼女の魅力については、今まで折々友人に語りもしたし、ここに書きもしたし、彼女が魅力的だということは彼女が生きているか死んでいるかとは無縁のことなので、ことさら言うべきことは何もないのだ、とひと月掛けてぼんやり分かってきた。だから逆をいえば、これからも折にかなえば彼女の賛歌をきっと僕は歌うのだろう。
 彼女の死は僕に何の変化ももたらさなければ、僕の中から何も奪い去ることがないのだった。彼女がくれたものはなくならない。僕の中の彼女は死なない。しかし彼女は死んだので、およそ他者の死というものは、ほんとうには体験することができない種類のできごとなのだと思い知らされて、それはさみしい。あるいは他者の生というものは。
「観鈴は幸せだったと信じてください」 - 遠景に
 にはは。