あの日見た花束ちゃんの名前も僕達はまだ知らない。

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

 前述の東京行きで家を空ける間の備えとしてHDDレコーダー容量を確保するために、出発前夜に徹夜で全話見た。
 積極的にひどいと思った。シナリオの問題もあろうけど、演出がそのひどさに輪を掛けているように思った。なにやらコミック原作の感動必至をうたう邦画のような仕上がりで、わざわざオリジナルアニメとして作った意図というものがそも測りがたい。もちろん、泣ける作品が見たいという需要には合致しているのかもしれない。そういう需要があるのだとして。そして泣けるのだとして。
 第1話冒頭からすでに違和感を覚えた。
 めんまと呼ばれる人は死んでいて主人公にだけ見える幽霊のような存在であるらしいのだが、彼女が走るときドタドタと足音の効果音が入ることから、彼女はなんらかの物理的干渉性を有することが、まずわれわれ視聴者に示される。続いて、主人公の家に鳴子が訪ねてきて玄関先でめんまが鳴子に飛びつくシーンがあって、このとき鳴子の体は、さも実体や質量をともなった人間が飛びついたかのように揺れる。そのように描写される。そうであれば仰天しそうなものだが、鳴子はただ「肩が重い」とつぶやく程度の反応を見せるばかり。そこで、めんまの足音、鳴子の体が揺れる描写、鳴子の反応、このどこかに、アニメーションとしての嘘があることになる。
 幽霊を実際の人間が演じるドラマやコントなら当然このようになる、それを敢えてアニメで模倣して見せました、という作り方をしているのだろうと解釈できなくもない。しかしそれなら実写で作ればいいのであって、アニメーションであることの特性を自ら棄却してしまっているのだと思う。この演出に正当な意味があるのであれば知りたい。
 このように最初からつまづいたせいもあり、とうとう終いまで覚めた状態で視聴するはめになってしまった。徹夜の必要があるなか、私の目を覚まし続けてくれたことには感謝している。