ホログラム

清浦夏実「ホログラム」

 せっかくですから少しだけこの歌について。

机の上で生まれた世界
一番先に君に見せたかった
空っぽの部屋そっと抜け出して
走り始めてた
清浦夏実「ホログラム」)

 ふつうに考えれば、抜け出すことによって部屋は空っぽになるので、空っぽの部屋を抜け出す、という言い方は不適当であるよう感じられます。ところが、ここの歌詞は「空っぽの部屋」でなければならないし、この歌を「僕」を愛おしいものにしているのは、まさしくこの箇所なのだと言いたい。そういうお話をします。
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 歌が進行していくにつれて、抜け出して向かう先にいつもいてくれた君、その君との時間、君と見つけたいろいろのことども、そういったものが僕にとっての宝物であり、それらのみが価値の全てである(あった)のが僕なのだ、ということが判ってきます。逆に言えばこれは、君につながるもの、君に通じるもの、その外には価値あるものなんかない、ということです。
 それが判れば、君との隔絶を象徴するものが僕の部屋なのだということが見えてきます。君が待っていた丘の上の充溢と対比されたとき、僕の部屋はどうしたって空っぽです。それは中に僕がいようがいまいがそうなのです。少なくとも僕は、そのようにして僕の部屋を空っぽだと感じながら、毎日毎夜をそこで過ごしたのだろうと想像できます。もしかしたら、君と関わっていないときの僕はうつろそのものだとさえ思っていたかも知れません。
 それで、僕は机に向かいます。そこに世界が生まれます。
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『ファイ・ブレイン』のED曲として見た場合、ここでいう「世界」は、パズルのことを指しています。
 君を思ってパズルを作り、出来あがったパズルを「世界」と見る。それは、そのパズルの備える美しさや完全性によってでもあるでしょう。でしょうが、パズルが出来あがったことで、それを持って君に会いに行ける、君が全ての価値の源泉であるような僕にとってそれは、空っぽの中から君とのつながり=価値ある世界が生まれたにも等しいことであったためではないか。そんなふうにも思えます。
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「パズル」と言わず「世界」と言ったことは、おそらく第一義的には、この歌にアニメにとらわれない普遍的な訴求力を持たせるための言い換えです。それでも上述したあれこれを思いながら『ファイ・ブレイン』と結びつけて聴いたとき、この言い換えをも包み込んだしかたで、この歌はもっとも強くわれわれに訴えかけてきます。
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 この感動はちょっと整然とは言い表せませんけれども、清浦夏実「ホログラム」はそういう歌です。