病みの炎に抱かれて

中二病でも恋がしたい!

 ついでなのでTVシリーズについて。

森夏「(……)ほら、富樫くんも私も中二病を卒業して、高校時代は普通の高校生やるぞーって思ってたわけじゃない?」
富樫「まぁな」
森夏「でも、それだってきっとそういう普通の高校生みたいなイメージを、自分で勝手に作って、それに捕らわれているのよ」
富樫「何が言いたいんだよ」
森夏「別に。……ただ結局、人はいつも何かに病んでるのかなって」
富樫「……深いな」
森夏「浅いのよ、富樫くんが」
(Last Episode「終天の契約エターナル・エンゲージ」)

「何かに病」む、と森夏は言う。また、この引用の少し前の箇所では、一度は「中二病」と呼ぼうとしながらも、「中二病とは違うのかもしれないけど」として断定を回避する。森夏は言葉を選ぶ。それだけ微妙なことを、森夏は言おうとしている。
 最終話のひとつの肝ともいえるシーンでこんなやりとりをさせておきながら、「そう……人は一生、中二病なのだ」といった具合のナレーションでラストを締めくくってしまうというのは、もやもやする。森夏が何かの病とするに留めざるを得なかったもの、名指すことを控えたものを、再び「中二病」という言葉に引き戻してしまうというのは、誠実さを感じない。
 大塚芳忠のナレーションで始めたのだから大塚芳忠のナレーションで終わりたい、そんな誘惑に駆られるのも分からなくはないけど、そこを敢えて振り切ってラストのナレーションを省いてしまえば、余韻でもって、かえって豊かなものを視聴者に伝えられたのではないかと思う。
 それともこれは照れ隠しなのか。