「僕は貴兄の好きな無名の者です」

中原中也高橋新吉論」

 最近、高橋新吉について調べることが面白くて仕方がない。自らの無知や考え及ばなさのため、他の人からすれば常識のようなちょっとした事でも、知れると大発見のようにうれしい。初学者の楽しみを味わっている。
 さて、中原中也は、高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』に感銘を受けたことをもって、自らの詩作の出発点とした。その中原の書いた「高橋新吉論」が、青空文庫に公開されていないようなので(2009年から校正待ちの状態)、独自に入力したものを以下に掲載する。青空工作員になって校正してあげればよいのだろうけど、マニュアルを覚える間には、こっちの方が早いので、あしからず。
 なお、底本は角川書店刊『新編中原中也全集』第四巻「評論・小説 本文篇」(平成15年11月25日初版発行)。ルビは、この全集が底本としている『赤門文学』第三巻第四・五号(昭和18年4月1日発行)発表時のもの。全集にはこのほかに、全集編者による括弧付きのルビが振られているが、ここでは省略した。
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(ここには「高橋新吉論」の全文を掲載していたが、12月13日より青空文庫での公開が始まったため削除した。下記リンク先を参照されたい。)
図書カード:高橋新吉論 - 青空文庫
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 高橋新吉中原中也の思い出」(『國文學 解釋と鑑賞』第四〇巻四号(昭和50年)、pp.14-15)によれば、中原が高橋にはじめて会った日のことは中原の日記に書かれていて、それはこの手紙から三週間ほど経った、十月七日(金曜)のことだった。当時早大裏の吉春館という下宿にいた高橋を、中原が訪ねてきた。中原が『ダダイスト新吉の詩』を知ってから四年後ということになる。
 中原からの手紙などは空襲で焼いてしまった高橋だったが、この「高橋新吉論」と、後段掲載の手紙とは、『赤門文学』に掲載されたものを戦後書きうつして、昭和五十年のこの時まで手元に残してあったという。おかげで「今も読むことができるのである」と思い出は結ばれている。