「わけのわからぬ感想」

吉本隆明『悲劇の解読』(ちくま学芸文庫

 何年掛かりで読んでるんだか、この度は、横光利一の章を読んだ。

「巴里にはリリシズムといふものが、どこにもない。」という感想の判らなさについても、望みうる最上の人物といえる岡本太郎が「旅愁の人」で言及した。(……)この理解の仕方でもまだ判らなさは残される。(……)けれどこれだけいってもらえればたぶん最上の解釈に遭遇しているのだ。それ以上のことはかれらの個性の深部でうずいている傷であり、そういう傷なら、べつにわざわざパリで探さなくてもいい。(……)
(p.183)

 推し量るしかないものを、忽ちこうと決め付けない。格率とは言わないまでも、そういった節度のようなものが、吉本隆明の筆致からは感じられる。差し当たり作者の側に残されるしかない領域を、狼藉者のように踏み荒らすことをしないための礼節を、確かに持っているよう思われる。
 節度、礼節、といっても大げさなのか知れない。思考の運び方として、そういう当然があった。身も蓋もなくいえば、ほかにやりようなんてないじゃないか、ということだ。
 その歩みようでもって、色気を出さず、しかしぎりぎりのところまでは分け入って、その先に何かしらがあるということを、指し示すことさえできれば、それはもう御の字というものだ。