天地開闢姉弟道行

霧の中の風景

 テオ・アンゲロプロス追悼上映で二年半ほど前に観たのだったと思う。机上に放置されていたメモが目に止まったので、ここに書き留めておく。
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 寝室で、たびたび姉は弟に創世の話をして聞かせるが、いつも途中で母に邪魔される。姉は創世の話をおしまいまで知っている。弟は知らないままでいる。
 姉弟の父は遠くドイツにいるという。二人は父に会いに行くことを決意し、ある日とうとう実行に移す。その道行きの途中、伯父のところで、二人が私生児であることを姉だけが知ってしまう。
 このことによって、父の不在の持つ意味が、姉と弟で違ってくる。姉にとって父の不在は、いまや揺るがしがたい、闇のような不在だ。一方、弟の側には、父の不在に、なお予感的なものが残される。こう言ってよければ、希望がある。縋るにも心許ない何かだが、それに動かされるように、ともあれ二人は前へ進む。
 映画の最後、姉弟は、国境の川を越え、ついにドイツの土を踏む。弟は、不安がる姉に創世の話を語りはじめる。弟の語る創世の話は、そのおしまいを知らないがゆえに、おのずから、ドイツの地での全く新しい開闢を告げるものであるだろう。弟の話がどのような結末を持つことになるか、それはこれからのことだ。全ては今から創られる。