ティファニーで白米を

ラブライブ! The School Idol Movie』

 劇場の大きなスクリーンだと、ライブパートの3Dキャラはどうしても見劣りがするなあ、というのがまず第一の感想。見せ場であるべきはずのところで、かえって快楽を殺してしまっているきらいがある。
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 はるか異国の地ニューヨークでのライブに際して、現地スタッフとのやり取りなどといった実務的な部分が一切描かれない。9人が騒ぎを起こしながらもニューヨークを満喫して、気づけばライブに至り、そして帰国する。
 ニューヨークライブという企画自体、降って湧いたものだから、そこの事情を掘り下げてもしようがない、9人を追うときに、そんなものが画面に割り込んでくる余地などない、そういうことでもあろうか。
 その代わり、穂乃果だけが出会う謎の路上シンガーが登場する。μ'sの今後について迷っている穂乃果に、シンガーは、何のために歌うのか、それがはっきりすれば答えは自ずと分かる、簡単なことだよ、と助言する。
 何のために歌うのか。
 例えばこの出会いに依らなくても、その答えを穂乃果に気づかせることは出来たろう。何らかのきっかけは必要だとしても。このシンガーも、登場させなければさせないで構わなかったと思える。
 あり得べき将来の一つの姿を思わせる、穂乃果の少し先を行く存在を、示してみせた。あらまほしき先達。意味合いとしては、まずはそうだと言えそうだ。しかしそれをこのような神出鬼没の存在にしたというのは、意味の領域を超えたところに属する事柄だ。
 不思議があってほしいという精神の、率直な発露。そのように思える。
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 凛やことりが、ニューヨークが秋葉原と似ている、と言うのはやや強引だと感じる。たかだか一日出歩いた程度で、ニューヨークの街の作り、ありようを語る言葉はそらぞらしい。一方の秋葉原について肌身で知り尽くしているからこその直感なのかもしれないが。そうして直感を言葉で説明しようとするとき、人は往々にして的を外してしまうものだとはいえ。
 ニューヨークの街中で歌うμ'sが、帰国後、秋葉原の街中でのライブを思い付く、全体の流れをそのように持っていく繋ぎのための発言という要素が大きく、ここは逆に理屈が勝ちすぎているところだと思う。
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 秋葉原ライブの前日、BGMなしで穂乃果のスピーチを聞かせる場面で、衣擦れの音がどうにも気になった。ただ、このもう少しあとに、今度は効果音なしでBGMだけで表現する場面があるので、ワンセットということなのだろうか、対比にはなっている。
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 9人の最後の新曲を、話の筋から遊離したどこともつかない場所で歌わせたことは、大いに賞賛したい。
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 ホテルで大げさに喚く海未に冷ややかな一瞥をくれる矢澤にこ。ソークール。
 3年生トリオの赤縁サングラス。ベリーキュート。