ノーブラはいつも稀有なものなのです!

メジャーセカンド』#23「運命の一打」

 弟にミットで胸を叩かれて「てか、そこどつくな!」と言う道塁。同じ声の人が別のアニメではノーブラおっぱいをもみもみしてくださいと言っていたことと考え合わせると、道塁はノーブラでないことが分かる。

「何もない」がない

『劇場版 のんのんびより ばけーしょん』

 宮内ひかげが、どこまでも上滑りして、面白くもないオチ担当みたいな役回りを続けてきたことが、しかし最後に生きる。
 ちぐはぐなまま旅行が終わってしまう悲しさではなくて、やっぱり楽しかったんだと思う。

マジック・キャッスル

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法

 まず何より、三階建てで横にやたら長いモーテルの建物の存在感。子供の足で端から端まで走るところを長回しで追うことで、余計にその長さは強調される。
 この建物に架かる虹の映えること。
 *
 モーテルの支配人のボビーは、いたずら盛りの子供たちとしばしば対立する。かといって互いが互いを全く邪魔にしているわけではない。しばしば対立することのうちに共存している、とでもいうか。
「アウトだ。一回で追い出すと言った」と、食べているアイスを床に垂らした子供たちをロビーから追い出す場面がある。これは、裏を返せば、一回垂らすまでは居ていいと約束を交わしたということでもある。どうせ垂らすに決まってるから、それを機に追い出せばいいと考えて約束したのかも知れない。安モーテルの住人と長年付き合い、そこで秩序を司ってきた者の知恵。ともあれボビーは子供たちを、頭ごなしにあしらうことはしない。
 子供たちの方でも、例えばかくれんぼの道具立てにボビーを使おうとしたりして、口喧しいボビーには寄り付かないようにしようなどということはない。人を疎んじるなど思いもしない、子供ならではの万能感のためでもあろうし、ボビーがじっさい悪人ではないことを、子供たちは当然分かっているのでもあろうし。
 そんなこんなで、映画が進行するにつれ、我々にもボビーの顔がどんどん懐かしく感じられてくる。

望み捨てるな リズ

リズと青い鳥』2回目

 2回目を観て、前の感想の訂正というか補足というか。
 *
 黄前久美子高坂麗奈の掛け合いのシーンの前に、水道でマウスピースを洗っているところが瞬間映る。この画の挿入は、よっしゃ不甲斐ない先輩に一発聴かせてやろう、という意気込みを表しているようで、あの演奏は残念ながら戯れというばかりではなさそうだ。
 食べ物を床に広げて雑談をしているシーン。希美のグループが、練習もそこそこに朝食だ彼氏だといった他愛ない話に花を咲かせていること自体が、この映画にとって意味を持っているのであり、本人たちにはむろん息抜きだろうが、映画の緊張はここでも持続している。ほっと息をつけるというよりは、食べ物が映る最初のカットで、ようよう息継ぎができるだけだ。
 *
 ラストシーン。「みぞれのソロを完璧に支える」「私もオーボエ続ける」というやり取りは、いかにもぎこちないが、それは我々の目にぎこちないというに過ぎない。表面的に噛み合って見えなくとも、相手の胸に届けようとして放たれた言葉に、そのほかはない。言葉は受け止められたのだから、そのほかは。
 さらに進んで。「本番、頑張ろう」と二人の声が揃い、ややあって、みぞれが意を決したように「ハッピーアイスクリーム!」と叫ぶ。それに対して希美は、間髪を入れず「なんだのぞみ、アイス食べたいんだ」と返す。
 希美はハッピーアイスクリームの決まりごとを知らなかったわけではないだろう。むしろよく知っていればこそ、もうアイスを奢るつもりで一足飛びにあのように答えたのではないか。
 もっと言えば、声が揃ったあとの、「あっ……」と硬直していたときの希美の内には、ハッピーアイスクリームだ、言おうかどうしようか、という考えがよぎっていたのではないか。もしかしたらみぞれに通じないかも、というためらいもあったろうか。
 そうして、だからこそ、みぞれの叫びに瞬時に答えられた。そんなように思っている。もっともみぞれの方では、ハッピーアイスクリームを先に言うことに必死で、アイスを奢ってもらうことまでは考え及んでいなかったかもしれないが。
 これらのことは例えば、映画中盤で、「図書館の本は又貸しダメなんだけど」という口真似は二度三度と続けてようやく「はいはい」と理解された(あるいは理解されずあしらわれた?)ことと比べてみよ。みぞれってあんまり喋らないから何考えてるか分かんなくてさ、という第三者への告白と比べてはどうだ。
 *
 ほんとうに私が言いたいのは、新山先生怖すぎる、ということだけだ。

out of joint

リズと青い鳥

 黄前久美子高坂麗奈が、それぞれ自分の楽器で戯れに、フルートとオーボエのパートの掛け合いに打ち興じる、いつもの校舎陰。噛み合わない傘木希美と鎧塚みぞれを尻目にも見ないで、さすが自分たちにしか興味がない二人、それでこそ、と、この場面では感心したし笑いもしたのだが。鎧塚みぞれの本気の演奏の後、この二人が他の面子とぞろぞろみぞれの周りに集まるのには、いささか失望した。そんな人たちじゃないでしょ君ら、と思った。しっかりしてくれ。
 disjointですよ、ほらjointですよ、という表示は絶対に不要だったと思っている。
 好きな箇所は、下級生たちがコンビニで買ってきたような食べ物を広げているカット。高校の部活の風景にありそうな画、という以上の意味を持たなそうで、ほっと息をつけるから。なのだけど、鎧じゃない剣崎氏がコンビニゆで卵を携帯していることとリンクしているのではあり、鳥籠の雁字搦めはここにまで徹底して及んでいると言えるか知らない。