「私にもできる何かを 探してる」

1月に観た映画(5本)

 ひと月単位で記録すればもれなく感想書けるかも知れないという試み。

 1作目と違って総集編に時間を割かなかった分、最後の試合にこれでもかというくらい見せ場を詰め込んで、その過剰さ、わやくちゃさが、呆れながらも楽しかったです。
 しかし何といっても、ヤギを助けて三国先輩を見殺しにした場面が最高に面白くて。どうせTVシリーズで戸松にポジション奪われることになるんだからあのまま死んでたほうがよかったくらいなのになぜ生き延びてしまったのか三国先輩。
 映画のキーキャラクターが沢城みゆきだからといって、『みゆきちイレブン』と呼称しちゃうと『定吉七番』の姉妹作みたいなことになります。

 卒業の前夜、唯の部屋に憂が訪ねてくるシーンが好きです。
「大学行っても、みんなでお茶できるよねー」と訊くとき、卒業する4人はみな同じ大学に行くのだから、特に梓を交えてお茶できるかどうか、それが唯の関心事です。唯なりに、不安はある。いまは梓を含めた5人が私たちの「みんな」なのだと思っていても、大学に行って、もし梓とお茶をすることがなくなるとしたら、「みんな」の意味が、「みんな」のかたちが、変わってしまうのではないか。そんなことも感じてしまう卒業前夜なのです。
 憂ならばこの不安をたのもしくも打ち消してくれるにちがいない、とあらかじめ期待していたとまでは言いませんが、それでも、打ち消してほしいという願いはあって、それが、憂が部屋を去ろうというときに至って、ひときわ強まり、唯の口を衝いて飛び出します。
「大学行っても、みんなでお茶できるよねー」
 唯の問いかけは言葉足らずのようですが、憂には確かに通じたようで、「もちろん! できると思うよ」と憂は返答します。さきに隠しきれていなかった唯の歌詞ノートを憂が見つけてしまう描写があるのは、この、通じたようだという事情を分かりやすく示すためでもあって、仮にノートを見つけなかったとしても憂には唯の真意は通じたであろうし、そう読み取られるべきだと思います。それくらい、憂はお姉ちゃんのことが大好きだからです。

  • 1/8『サヴァイヴィングライフ』

『アリス』というへんてこな映画を十数年前にテレビで見たことがあって、その監督の作品だと知ったので観に行きました。

 メダル集めの冒険のほうで壁にぶつかったからといって、請け合ったばかりでまだ練習が始まっていない劇のこともひっくるめて、はじめから無理だったんだ出来っこなかったんだという思考に陥るというのは、理解に苦しむところではあったけれど、脚本の平易さを求めた結果なのだと今は思います。素直に見て楽しい映画だとあまり素直じゃない僕は思います。

 例えば、デジタル嫌いの爺さんなんという人物造形が10年後の未来に可能なものなのだろうか、という疑問はあります。近未来を舞台にしているわりには古めかしいというか古典的というか。しかしそれが変わらない伊藤和典らしさともいえて、観ているあいだ安心してにやけっぱなしだったことも事実です。
 クジラは何をしにきたのか。田中はなかなかいいメガネでした。