「ぼくたち地球人」

大山のぶ代『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』(小学館

 いまはむかし、いわゆる『新ドラ』のドラえもん役が水田わさびに決まったとき、「その手があったか!」と膝を打ち、その瞬間から彼女を応援している私です。と同時に、『旧ドラ』で育ち、大山のぶ代声に馴れ親しんで愛着が深いことにかけてはもとより人後に落ちないつもりの私でもあります。それとこれとは、両立するというよりは、なにか一つ事のように私のなかにあって私を成り立たせていることがらです。
 ちなみに、新キャスト発表前の私の予想は伊東みやこでした。青いキャラクターを演らせたらこの人!て思ったんですけどね。
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 ドラえもんと共演して「ねぇえドラえもん?」なんて言葉を交わしている姿を幼いころからたびたび拝見してきた私にとって、大山のぶ代ドラえもんの声の人、という図式ではかんたんに言いあらわせない、大山のぶ代さんはそういうちょっと特異な存在です。26年間声の仕事はドラえもんだけで過ごしてこられたご自身にとっても、ドラえもんという存在は、たんに演じているキャラクターということで言い切れない、存在だったのではないかと思います。産みの母のようでもあり、育ての母のようでもあり、仲の良いともだちのようでもあり、ほとんど腐れ縁のようでもあり、大山さんがドラえもんドラえもんが大山さんであり。
 それで私たち当時年少の視聴者にとってのドラえもんはといえば、特別なともだちであり、当たり前のともだちであり、私たちをあたたかく見守り庇護してくれる存在でもあって、やっぱりなんだか複雑です。
 以上のことを踏まえるなら、大山さんは、ドラえもんで結ばれた私たちのともだちであり、お母さんであり、ともだちのお母さんであり、ということになるでしょうか。私のばあい、大山さんが料理研究家としてテレビに出演されているときでも、上述のような関係を重ねあわせながら眼差しをむけていたようおぼえています。
 逆に大山さんからすれば、それこそ世界中にともだちや子供や子供のともだちがいたのだから、「ぼくたち地球人」の歌のこころにふさわしいようなそれらいっぱいの笑顔に出会っては、きっと笑顔と声で応えてこられたことでしょう。
 その横に、その中心に、そこここに、ドラえもんはいたのだと思います。
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 この本を読んだのはもう1年も前のことですが、読中読後に感じたことをなんとか書きとめておかなければと、ずっと気がかりだったのでした。あいかわらずうまく書けないのですけど、ドラえもんのことばかり考えていたおかげでモノマネはまたうまくなりました。