「夢が紡ぐお話が好き」

風立ちぬ

 近眼であるということは、その眼が焦点を結べるより先は、もう夢の滑り込む余地だということだ。
 少年堀越の近眼が見た夢の場所。彼はそれを心の裡に失わず持ち続け、自分の場所をそれと一緒にすることに全存在を賭ける。
 やがて、躓き。避暑地にて。菜穂子との再開が、失意の堀越の雨を晴らす。現実の、遠くの虹を、近視の彼が見ることが出来る。「虹なんて忘れてました」
 虹は、顕現する夢の象徴だ。夢は、現実に、なる。堀越は、その信念を取り戻す。
 いつかの草原に、一事を貫き成し遂げた堀越は立っている。しかしそこは、留まり続けることの出来ない夢の原だ。虹は、行ってしまうものだ。彼もまた、行ってしまうほかないものだ。
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 本日テレビ初放送ということらしいので、観る余裕はないけれども、折角なので昔のメモを引いてみた。近眼を、夢が立ち起こるところとして措定したときに、この映画のファンタジーも成立した、というのが私の第一感で。
 しかしまあ、難しいこと抜きに、「はい!」「はい!」という堀越の真っ直ぐな返事が好きなんだけど、ね。