袋小路の再会

『犬王』

 異形のために父から疎んじられ、猿楽の家に生まれながら舞台から遠ざけられて育った子が、周囲に群れ集う平家の亡霊の声を聞く。やがて自らを犬王と名乗り、亡霊から聞き拾った、いまだ世の誰にも語られたことのない平家の物語の数々を、独自に新作舞踊として披露する。そうして披露するたびに、呪いが解かれ、少しずつ正常な身体を取り戻していく。

 その斬新さが評判を呼び、将軍の御前に舞踊を献上することとなった犬王は、そこで、残る最後の物語を掴み取る。ためにすべての呪いは払われて、犬王は完全な身体を得、その身体を遺憾なく駆動して、奔放に、優美に舞ってみせる。

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 正常な身体を取り戻していくことは、身体的な特異性を手放していくことだとも言えて、なのでまったくユニークなところから始まった犬王の舞踊は、しまいには、たかだか現代バレエ程度の新しさに落ち着いてしまったようにも見える。現在性を恣に躍動していたはずの犬王は、ここに至って現代性という具体的地点へと着地してしまったようだ。

 あるいは。アニメーションとしては大変優れた舞踊シーンだと言えるかもしれないけれど、現代バレエ的なものということでは、そこへは『Gのレコンギスタ』のアイキャッチなどがすでに到達していますよと思ってしまう。

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 現代京都の大路小路のいずこかで、犬王は友有と魂の再会を果たす。しかし、そこはもはや行き止まりではないのか。

 犬王という題材を現代的に再解釈することは、見どころであると同時に、この映画を限界付けてもいる。彼らはどうしても現代までしか行き着くことができないし、したがって映画もここで終わるよりない。