夜歩く

ラブライブ!サンシャイン!!(TVアニメ2期)』#8「HAKODATE」

 夜おそく、理亞の家を一人訪ねるルビィ。話があるからといってルビィは理亞を外へ連れ出す。

 慣れないはずの函館の街を、先導して歩くルビィ。理亞は行き先が分からない。理亞には見えない行き先を、その道を踏み固めるように、ルビィの歩調に迷いはなく、やがてルビィは理亞の手を取り走り出す。

 そうして立ち止まった先で二人が、一緒に見つける、クリスマスツリーの光また光。

 *

 シーン冒頭。はじめ横からのアングルで理亞一人を捉え、次にルビィ一人のカットが続き、前方からのアングルに切り替わって二人の位置関係が明らかになる、その瞬間の軽い驚きのために、このシーンは早くも特別なものと映ずる。

 それから。イルミネーションのことを、ルビィはチラシで知ってはいたけれど、先んじて実物を下見していたわけでなく、ために、理亞と同じく出し抜けに、ツリーを見つけることとなる。このとき、当初の位置関係は消失する。いつの間にかツリーの前に立ったとき、二人は肩を並べている。

 *

 そして、プロポーズ。

「歌いませんか、一緒に曲を」

魔法が使えない子は

『映画しまじろう まほうのしまのだいぼうけん』

 ここ一番の大事なときに、しまじろうを応援するのにステッキの力を使わないのは、おなじ小道具を用いるにしても、プリキュア映画とは一線を画するところだ。ステッキを媒介して目に見える力に変換しなくとも、案ずるなかれ、応援は届く。

 それに、森の魔女が言うように、魔法の助けがなくてもしまじろうは、その内にすでに力を持ってる。

「魔法が使えない子は、あんがい魔法が必要ない子なのかもしれないよ」

「ユメノトビラ、ずっと探し続けていた……」

ラブライブ!サンシャイン!!』#2「転校生をつかまえろ!」

 高海千歌桜内梨子に、今の「ユメノトビラ」だよね、梨子ちゃん歌ってたよねと畳み掛け、答えに窮する梨子を待たず、「ユメノトビラ、ずっと探し続けていた……」と「ユメノトビラ」の詞を言うときは好きだ。

 詞を正確に言うなら「ずっと探し続けた」だろうが、詞を正確に言うことがここで千歌のしたかったことでは無論ない。生徒会長の出題するねちっこいμ'sクイズに回答しているのではないのだから。千歌の気分があのように湧き出してきたのであるかぎり、千歌の言ったことがそのまま正しい。

毎日の葬送

ASKA「月が近づけば少しはましだろう」

 ASKAの話をもう少し。

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僕の中を 通り過ぎ行く人

ほんの一瞬の人

ASKA「月が近づけば少しはましだろう」)

 はじめ私はこの「人」、僕の中を通り過ぎ行くほんの一瞬の人とは、1番に出てくるような言葉を向けてくる心無い他者、ひいては他者全般のことを言っているのだと思っていた。

 私たちは、ともすればすぐに、ほんのすれ違っただけの人にも背景がある、人生がある、厚みがある、という発見をしたがる。ところがそのような発見を押し拡げていけば、いずれ息苦しくなる。そうして、いや、一瞬の人だ、と念じたくなる。あんなものは、なんだ一瞬の人じゃないか、と言い捨てたいときというものは確かにある。

 それを言っているのだと思っていた。しかし違った。真逆でさえあった。

 あらためて見ると、2番の詞はこうなっている。

ごまかしながら生きて来たなんて 思わないけど

夢まみれで滑り込むような事ばかりで

 

毎日の自分をどこか 振り分けてた

 

僕の中を 通り過ぎ行く人

ほんの一瞬の人

(同)

 自分のことを言っているのだ。

 消え失せてしまう言葉にそれでも傷つき、拭きとれるはずの言葉はしかし積もり。他者の影はどこまでもまとわりついて振り払えない。かたや思うに任せない日々の自分をこういう仕方でずたずたに葬っている僕。

いつか涸れることない涙

「cry」

 かつてASKA黒田有紀に提供した「cry」。それをセルフカヴァーしたものを自選のベストアルバムに収録した。のみならず、娘である宮崎薫にも歌うようリクエストし、カヴァーが実現することになったという。

 Cry|BLOG|ASKA Official Web Site 「Fellows」

 それほどに大事な楽曲だということなのだろう。私にとっては、『ストリートファイターII V』のエンディング曲として知り、カラオケで歌うと必ず泣いてしまう、そんな歌だ。

この日この時の気持ち 誰とも分け合わないで

どんなだったか覚えておこう oh cry oh cry oh cry

(「cry」)

 本気で愛することがすべてで、それが取り返しようもなく終わったとき、他者などがいったい何だというのか。痛み、叫び、泣いて、それでも生きているということの辛さを、それでも生きているということ。それが全部であるような、それが全部であってしまうような、本気の恋愛。

  内容としては二十そこそこの若い女性の失恋を歌った歌であり、その失恋の内実は固有のものではあろうけど、このような悔しい叫びを、ただ自分だけのものとして抱いていようという心は、普遍性を持ちうる。そう思える。