「みんなニシンを馬鹿にしている!」

『ひろがるスカイ!プリキュア』#8「飛べない鳥と、ふしぎな少年」

ソラ「辛いライス、最高!」

ましろ「カレーライスだよ」

ソラ「ほぇ、辛いからカレーっていうんじゃないんですか?」

ましろ「それが違うんだよねー。ちなみに、カレイって魚もいるよ」

ソラ「辛い魚ですか?」

ましろ「淡白な中に、上品な甘みがあるよ」

 雑談にそこはかとなく漂う『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』感。誰の脚本かは見るまでもなく。

47ハムザイ

Winny

 社会的な問題、警察組織の問題等がさまざま絡み合うように構成されてはいるが、軟弱な私はただ、金子勇という魅力的な人がいたことの記録の映画と思いたい。数々の遺品を映画に登場させること。当時の時代のPC環境や画面表示の再現。さらに遡って、少年・金子勇が見たであろうPC-8001上の星空。彼が育ち、彼もまた眺めたはずの、佐野の空や山並み――。

 役作りのため18キロ体重を増やして撮影に臨んだ東出昌大を見て、金子の姉は「勇ちゃんがいる!」と涙されたという。これ以上の評を私は持たない。

 *

 金子勇分をもっと得たくて、壇俊光Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』(インプレスR&D)を読んだり。

 ある日、私と金子は、アニメのエヴァンゲリオンの話題になった。金子はエヴァンゲリオンが大好きで、2ちゃんねるの某板でも投稿していたらしい。ソフトウェア板よりも熱心な2ちゃんねらーだったと言っていた。

 またある日、金子が、

「壇さんだったら、私の好きなキャラ教えてあげてもいいですよ」と言ってきた。[……]

(pp.102-103)

 好きなアニメの好きなキャラを教えようというのは、弁護人以上、ほとんど親友のような信頼を、金子が壇に対して抱いていたことの、この上ない表れだろう。

 そしてこの秘事は、映画撮影の中で、壇と東出の間でこっそり共有されたそうだ。これもまた、東出になら金子を託してよいという信頼に他なるまい。

 *

 アスカであってほしい。

ぼくに妹はいないよ

『天上の花』

 三好達治への共感・理解を全くしかねるように作られていて、それは良かったように思う。

 売れない、お金にはならない価値というものがあるはずなんだと言う一方で、心の離れた妻を引き留めるためにはお金を渡すことしか思い付けないアンビバレンツ。去りゆく妻に、一万円あげれば傍にいてくれますか、とこの期に及んで呼びかける顔の、得体の知れなさ。

シシャモかカラフトシシャモかはどっちでもよくない

『さかなのこ』

 彼女を紹介するために、ヒヨはミー坊をホテルのレストランに呼び出していた。テレビ業界で働くヒヨは、売り出し中のタレントと付き合っているのだった。

 三人での会食が進むうちに、魚博士になりたいというミー坊の夢に話題が及び、ヒヨの彼女は笑いを堪えられなくなる。

 魚博士って。いい大人なのに。

 いつまでも笑い続ける彼女にすっかり冷めてしまったヒヨは、まだ食事の途中であるにもよらず、彼女を先に帰してしまう。そうして帰してしまってから、その理由には何も触れず、二人きり、思い出話をはじめる。

 ――子供のころ、近所に変なおじさんがいたよな。道でおじさんに出会ったら、帽子を褒めて、親指を隠す。もし捕まったら、どうなるんだっけ?

 ――解剖されて、魚に改造される!

 *

 それからしばらくして、あるテレビ番組の企画を持って、ヒヨはミー坊の前に現れる。それはローカル番組で、ミー坊に、いつものように魚のことを存分に話してほしいのだという。ミー坊のことを、みんなに紹介したいのだ、とも。

 ここに至って分かるのは、先の会食は、彼女をミー坊に紹介する意味ももちろんあっただろうが、それ以上に、ミー坊をこそ紹介したいためのものだったということだ。

 自慢の、無二の、最高の、幼なじみ。

 彼女がミー坊を理解しなかったとき、かえって、世の中のたくさんの人たちみんなにミー坊を知らせたいという強い思いが、ヒヨに芽生えた。きっとそういうことなのだろう。

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 ヒヨの企画した番組の収録の日。いよいよという時に至ってミー坊は、あの変なおじさん、ギョギョおじさんの帽子をかぶり、ギョギョおじさんの口調を憑依させる。それは、懐かしい幼少の日の思い出、そのイメージを救うことであり、あのときから今までの自分のいっさいを救うことであって、また、それらをけして忘れないというひとつの覚悟でもある。

 あの日々は、今もともにある。

袋小路の再会

『犬王』

 異形のために父から疎んじられ、猿楽の家に生まれながら舞台から遠ざけられて育った子が、周囲に群れ集う平家の亡霊の声を聞く。やがて自らを犬王と名乗り、亡霊から聞き拾った、いまだ世の誰にも語られたことのない平家の物語の数々を、独自に新作舞踊として披露する。そうして披露するたびに、呪いが解かれ、少しずつ正常な身体を取り戻していく。

 その斬新さが評判を呼び、将軍の御前に舞踊を献上することとなった犬王は、そこで、残る最後の物語を掴み取る。ためにすべての呪いは払われて、犬王は完全な身体を得、その身体を遺憾なく駆動して、奔放に、優美に舞ってみせる。

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 正常な身体を取り戻していくことは、身体的な特異性を手放していくことだとも言えて、なのでまったくユニークなところから始まった犬王の舞踊は、しまいには、たかだか現代バレエ程度の新しさに落ち着いてしまったようにも見える。現在性を恣に躍動していたはずの犬王は、ここに至って現代性という具体的地点へと着地してしまったようだ。

 あるいは。アニメーションとしては大変優れた舞踊シーンだと言えるかもしれないけれど、現代バレエ的なものということでは、そこへは『Gのレコンギスタ』のアイキャッチなどがすでに到達していますよと思ってしまう。

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 現代京都の大路小路のいずこかで、犬王は友有と魂の再会を果たす。しかし、そこはもはや行き止まりではないのか。

 犬王という題材を現代的に再解釈することは、見どころであると同時に、この映画を限界付けてもいる。彼らはどうしても現代までしか行き着くことができないし、したがって映画もここで終わるよりない。